暑さぶり返す 2013年08月31日 | 日記・エッセイ・コラム このところ快適な気候になるかと思っていたが、そう思い通りにはいかない。昨日の暑さは格別、汗でびっしょりのウォーキング、言葉を交わす常連の方々も「ぶりかえしましたね。」、、との挨拶となる。北風と太陽の話ではないが、暫しの辛抱である。 ところで、昨年より1週間ほど遅いが、風鈴仏桑華一輪咲いてくれた。花芽を数えると14個、暫し楽しめそうだ。
彼らから得るもの 2013年08月30日 | 日記・エッセイ・コラム 毎日世話をしている植物たち、人間様と違って暑い夏でも怠けることはない。サツキや山野草などはしっかりとした花芽を付けるためにその準備に余念がない。その姿に学ばされている。 とりわけ、 写真のように幹の半分以上欠いても枯死することなく緑葉を茂らせ、来春の開花にむけて花芽を肥らせている姿には感動するし、勇気づけられる。 何十年ものお付き合い、ともに頑張ろう。
晩夏かな 2013年08月29日 | 日記・エッセイ・コラム いつの間にかアブラゼミやミンミンゼミに代わってツクツクボウシが鳴き、庭では虫たちの饗宴が賑やかになってきた。雨戸を開ける音を聞きつけて金魚たち、朝の挨拶に水面に現れるが、酷暑の時と違って皆元気になってきたように思う。 彼らからも秋の訪れを教わる。晩夏か、嬉しいような寂しいような、、、。まあ、その時々を愉しもう。
草履でノルマ 2013年08月28日 | インポート 4㎞のウォーキング、昨日は素足に草履で歩いてみる。運動靴とは違った感触で歩いてみるのも悪くはない。普段と違う筋肉も使うので疲れが出るかと思ったが、今のところその反応なしである。時には裸足足袋で歩くなんていうことも実践してみようかな。 草履で歩きながら、戦後の貧しい時代のことを想い出す。田舎では、ズックなど売ってない専ら下駄や藁草履で通学したことを、、、。偶に学校でズックの配給(?)があるとくじ引きで決める。籤運がなく当たった試がないことも、、、。これは今でもそうである。
防犯パトロール 2013年08月27日 | 日記・エッセイ・コラム 酷暑の夏は、過ぎ去ってくれたのだろうか、気温25度、湿度65%、晴れ、今朝の天候である。今日も長老たちと町内パトロール、快適な中で出来そうである。 ところで折も折、昨日「母さん詐欺」の類のような不審な電話がかかってきた。相手にしなかったが、これで2回目である。このようなことは決して他人事ではない。その辺の含めてしっかり広報しなくては、、、。
向こう三軒両隣 2013年08月26日 | 日記・エッセイ・コラム 写真は、近所の方から「こんなもの召し上がる、、、、」と言って届けてくれたものである。息子さんの旅のお土産だそうだ。有難いことである。こうしたことは度々である。 ところで、向こう三軒両隣というが、その言葉通り私どもは近所の方々に恵まれ、心地良いお付き合いをさせてもらっている。 この地に移り住んで40年近くになるが、諍いもない、不快な思いもすることなく暮らしてこれたことは、このところ近所づきあいの希薄化などといわれている中で、貴重な財産である。頂いた野菜を眺めそんなことを改めて思う。
1日1万歩などは,, 2013年08月25日 | 日記・エッセイ・コラム 今日は一日中雨との予報、日課としているウォーキングも中止かな。 ところで日々4㎞のウォーキングをすることにしていることは前にも記したが、健康のために科学的な根拠に基づいているわけではない。果たして老体には適切なのかどうか。神のみぞ知るである。このところの酷暑の中、汗びっしょりなることは、、、。 ーーーーーーーーーーー 何方かが唱えてる1日1万歩などは無理であるよ。
奉仕活動の歓び 2013年08月24日 | 日記・エッセイ・コラム 現役のころは地域社会に深く関わるる機会も少なかったが、現在はボランティア活動(老人会、自治会、防犯協会などなど)が一つの生甲斐にもなっている。 昨日も防犯活動の一環として夏季の町内パトロールの依頼があり、二日間ほど例の89歳位と88歳の長老たちを誘い廻ることとした。長老たちも健康で地域社会に役立っていることに歓びを得ていると思う。 昨夜の元気な快諾の声、勇気づけられる。頑張ろう!!
不揃いだが、、 2013年08月23日 | 日記・エッセイ・コラム 品種は不明だが、こちらのブドウも不揃いながら20房ほど実を付けた。ただ、どうしたことか熟し具合が不揃いである。同じ房でも青いのもあれば食べごろに実もある。肥料の関係か、狭いところに植えられ伸び伸びと根を張れないためか、、、。家庭園芸の限界、ブドウ園のようなわけにはいかない。愉しみながら学んでいこう。 挿し木で増やした藤稔や安芸クィーンそして紅伊豆なども来年は実を付けるかな?
ブドウの食べごろ 2013年08月22日 | 日記・エッセイ・コラム あまり手をかけることもないが、今年も我が家のブドウはたくさん実を付けてくれた。そろそろ食べごろである。近所の方におすそ分けしたりして、お褒めの言葉を頂くと嬉しいものである。 ただ、ブドウ園のように粒ぞろというわけにはいかない。新しい枝にたくさん生らせるのはよくないとわかっているのだが、実が膨らむと「勿体ない」の心が働き摘果できないのである。毎年同じような反省をし進歩がない。