旧暦では、今日は正月2日になる。小学生の頃は、田舎ではどこでもお正月は旧暦でお祝いしていた。今の中国のように、、、何時の頃からであろうか都会のように新暦で全国が祝うようになったのは、定かでない。
旧暦の正月(時に2月の中旬の頃になるときもある)は、陽の光も力強くなり、いかにも新春という感じがして、子供心に浮き浮きしたのものである。なぜか、溶け出す雪の中で咲く万作の花がお正月と結びついて想い出される。懐かしい。
今自治会は周年行事でいろいろ計画しているが、嘗ての職場も40周年式典が、今日行われた。10数年ぶりにお会いする方々もいて、旧交を温めることができた。孔子の“友遠方より来たる。また、楽しからずや”のように健康でこういう機会をもてることに感謝しなければならない。
それにしても、年々歳々花相似たり、年々人同じからずの詩ではないが、旅立った方の知らせは悲しい。互いに健康で再会を誓って帰路につく。
町会の恒例の作品展会場を役員全員で設営した。有り難いことに、役員OB3名が駆けつけてくれ、率先して作業に当たってくれた。何しろ当自治会は、役員が一年で交代してしまうので、要領が分からず右往左往しているとき、適切なアドバイスを得て進めることができた。
そのため、午前中で完成し、午後から作品搬入となる。自慢の作を誇らしげに届ける方々、多彩である。今回は、子ども達の作品もあり、彩りを添えることができた。明日から2日間、多くの方が参観されることを期待しよう。
週末に実施される町内の作品展に向けて準備中だが、作品の名簿作りを進めている。用紙を購入したところ、作成に当たってはソフトをダウンロードすると簡単だと記されている。
早速、作業を進めたところ、スムースにできることを知った。このようなことは初体験、これからもソフトの利用をしっかり勉強し、一つ一つ積み上げていきたい。臆病がらずに、、、(怪しげなものに気をつけながら)
町の40年前の様子
町会発足40周年記念誌を発行にあたり、市役所や郷土館や農協そして分譲地開発会社などに資料の提供をお願いした。また、土地の古老などに話を伺った。幸いにしてどこも協力的で、その活用を快く承諾して頂いた。また、その後も町のパイオニア的会員から古い写真など提供して頂き材料が揃いつつある。中には分譲当時のパンフレットをとっておられた方もあり貴重な資料となる。
今日は、第三回の編集会議を開き、資料の点検をする。素人の集まりであるが、三人寄れば文殊に智恵よろしく大まかな事項を決定する。年度末刊行目指し 、見通しが出てきた。
近くの空き地で行われた子ども達の運動会
彼らは五十路を向かいつつ。大勢いたなあ。
今日、町田で学生時代の同級生との新年会をする。忘年会もいつものメンバーである。しかし、妙なもので年も改まると気分も変わり、互いの決意みたいなことを語り合う。しかし、酔いが進むと青年時代になり、寮生活のひもじい想い出や悪行などの話題になる。何十年重ねても同じになる。年を忘れ青春時代になるから不思議である。
そうは言っても、このごろは健康のこと、家族のことなどに話が進むと、しんみりとなることが多くなった。なかなか思い描く人生とならないと友の皆がいう。それが人の世であろう。、、、今年も夢を新たに頑張ろうということで散会となる。
五月雨的に届く年賀状、民営化のためかそれとも別の理由か確かめる術はないが、今日もまた数枚届く。
20代から続いている賀状の交換,年を重ねるごとに内容が変わってくるが読み返してみるとおもしろい。子育て真っ最中の頃は、お互い子ども中心の内容、やがて子どもは姿を消し、仕事中心、そして趣味や生き甲斐のこと、最近は、健康や孫の話題に関わる話と変わってきた。近況を互いに知らせ合うことは、楽しいものである。
一寸困るのは、隔年に届く賀状である。そろそろ切るべきか、それとも続けるべきか、相手があることで難しい。また、数年ぶりに届く賀状にも感謝しつつ返事が遅れるので戸惑うものである。