年々枯れ枝が目立って、もうダメかなと思っていたミツバツツジ、今年はたくさんの花をつけてくれた。踏みとどまってくれた。。ツツジやサツキの仲間は、樹勢が衰え始めると持たない木が多い中で頑張ってくれている。
そうした中で、蕾に赤みを帯びてきたヤシオツツジも、2枝ほど動きがない。枯れかかっているのかもしれない。故郷へ還すか、、これ昨年も記したが。
移植した木々は、環境に合わせるのでどうしてもエネルギーを消耗する。精一杯面倒見てやろう。
朋あり、近くより来るまた愉しからずや、、、。昨夕は、同好の志が集い一献を傾ける。桜も見ごろとなり花見の宴とでも言おうか楽しいひと時を持つことができた。もつべきものは朋である。人生を豊かにしてくれる朋である。
ところでクンシラン、順調に花茎を2本伸ばしてきた。今年はどうしたことか花茎が延している割には開花が遅い。室温の関係かな?
今年も、タツタソウ2輪だけだが淡紫色の花を咲かせた。小さな蕾があと2つあるが、まだ先になりそうである。
鉢植えから地植えしたハゴロモキンポウゲは、鉢植えの時と違って咲くのが遅くなりそうで未だ花芽が見えない。例年、3月初めには咲いてくれていたのだが、、、。
戦時中、尾張地方を襲った大地震、今の様に報道されることはなかったが、その当時、学徒動員で体験者した方の原稿届く。今やっとその長い文章をパソコンに入力したところである。
それにしても学徒動員や挺身隊の人々が多数犠牲になったことさえ報じられなかったそうである。敵国に知られまいとする大本営もそうであるが、当時のジャーナリストたちは、そうせざるを得なかったのだろうが、、。
入力を終えて、真実を伝えることの重さを改めて想った。最近の風潮を見て、いつか来た道にならないよう真実を伝えるマスコミ重要性が、ますます求められる。
庭のカタクリが咲いたので、狭山丘陵の群落地に出かけてみた。雑木林の斜面一角に、春を謳歌するように咲き競っていた。最近、山野草ブームで盗掘される地が多い中で、ここはよく守られているのが嬉しい。
カタクリの寿命は4、50年といわれるそうだが、庭のカタクリは、5、6株有ったのだが2株になってしまった。土壌が合わないのかな。群落を夢見ているのだが、、、。
野のスミレあちこちでところを得て咲きだした。このスミレ何種ぐらいあるのだろう。ちょっと散歩しただけで数種類の花を見ることができる。やがて、種となり駄賃をありに与え遠くまで運んでもらうことだろう。
サツキ鉢の隅で咲いているスミレの仲間、ビオラもありの仕業かな。暖かくなるとともに花も鮮やかになったようだ。
ところで、昨夜卒寿に近い方から、依頼した戦争体験を書いてくれるとの快諾の電話があった。有難いことである。
ソメイヨシの開花宣言、東京でも行われたようだが、満開までは4,5日かかるという。我が家の富士桜も開花からそれぐらいたって満開となる。小さな木だが、それなりに頑張っているところが愛おしい。
さて、今日は出版に向けての三回目の編集会議である。本の題名、版の大きさ、内容の整理などについて話し合っていこう。
それにしても真珠湾攻撃で九軍神のほかにただ一人捕虜となった方が、その後一流企業の社長までなられたという。そのお方が語る会のメンバー同僚だったということを知り驚く。
勿論大本営発表では捕虜のことなど一言も触れていなかった。知れば知るほど無謀な戦争だったことを知らさせる。
街のあちこちで木々の花が見られる季節となった。木蓮や早咲きの桜など見事である。写真は、お隣の品種改良された木瓜である。草木瓜などと違って形も大きく色彩も鮮やかである。よく、盆栽仕立てで愉しんでいる方がいるが、こうして伸び伸びと育てているのもいいものである。
さて、昨日は推薦委員会があり、その答申を頂いた。想わぬ結果にしばらく悩むことになりそうだ。皆と勉強してきた戦中・戦後の混乱期の語り部としての継続事業の件もあるし、、。。