暑さに弱いキク科のガーベラ、酷暑の夏を耐え忍んで今頃元気になり、今年2度目の花を咲かせ始めた。花の少ないこの期、なんとも優しい健気な孝行花である。霜の降りるころまで愉しめそうだ。
さて、町会の旅行だが、参加者がイマイチということで集いの会員にも再度個別にお誘いの案内を出すことにした。まだ日程にも余裕があるので声かけてみよう。
暑さに弱いキク科のガーベラ、酷暑の夏を耐え忍んで今頃元気になり、今年2度目の花を咲かせ始めた。花の少ないこの期、なんとも優しい健気な孝行花である。霜の降りるころまで愉しめそうだ。
さて、町会の旅行だが、参加者がイマイチということで集いの会員にも再度個別にお誘いの案内を出すことにした。まだ日程にも余裕があるので声かけてみよう。
我が家一の大木の枝垂れ桜の葉、大きな役割をはたして黄葉し日毎に散っていく。道路掃除をして仰ぎながら「ご苦労様でした」と声をかけたくなる。そんな気持ちになると清掃も愉しくなる。
庭に生える植物たちのわずかな変化を観ながら会話する暫しの時間、無になるところがいい。そんな気持ちで眺めていると今朝山茶花が一輪咲いているのを発見!間もなくアップできそうだ。
庭にあるセンリョウ、マンリョウ、ウメモドキ、南天などの実は、いずれも秋には真っ赤になり野鳥たちに「おいしい餌はここにあるよ」と教えているようである。アップしたウメモドキの実も、間もなく訪れる小鳥たちに啄まれてしまうが、今が一番美しい。
のんびり屋のマンリョウは、未だ青々としているが新しい年を迎えるころ真っ赤に染まる。赤い実の提供のずれは、餌の乏しくなるこれからの季節では、野鳥たちにとっては恵みとなる。
これも自然界のなせる業か。
夕方の頃吹く風の音には、物悲しさを覚える。これはなぜか子供の頃からそう感じていた。そんな昨日、町内のMさんが旅立たれた知らせを受ける。町内の自治会の組織づくりに多大な功績を残された方である。感謝をこめてご冥福を祈ろう。
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色とりどりの菊の鉢、店頭では咲き乱れている。遅ればせながら我が家の菊もようやく咲き始めた。ところが植えっぱなしのためか、年々花が小ぶりになってきた。来春には、すべて移植してやろう。
セキュリティ対策するに越したことはない。息子が心配して防犯センサーを付けてくれたことは前に記したが、昨夜こんなことがあった。午前2時ごろ異常な音を夢現に聞く、それが一階の受信機からの警告音と気づくまでどのくらいかかったのだろうか。正気に戻り一階へ降りて点検、5番のセンサーからの発信ということであった。見ると施錠に異常なし、外部からの侵入の様子もない。こんなこと初めてである。
発信センサーの施錠が甘かったのだろう。しっかり心してやろう。施錠をしっかりと、、、。
狭い庭でいろいろ植えて愉しんでいるが、車庫の上のブドウ棚もその一つである。今年もこの木だけは豊作で隣近所の方々に貰って頂いた。その木たちも木枯らし一号で葉はすっかり吹き飛ばされ明るくなった。
その棚下でサツキの鉢たちと花芽のつき具合は?枝ぶりの剪定は?などと会話をしている。こんな時間が至福の時である。棚を見上げ、そうだお礼肥えをやろうなどとつぶやく、、、。今日も爽やかな秋晴れだ。いつものウォーキング、距離を伸ばしてみるか。
夜半の風は、煩いほど吹き荒れ道路は枯葉でいっぱいとなる。吹き溜まりは山のようだ。強風がもたらした冷気は気温を下げ冬の寒さのようだった。掃除をする中で交わす言葉は、すっかり冬の挨拶言葉となる。木枯らし一番かな。庭の柿の木は葉を飛ばされ裸となる。実を数えたら2つ増え12個生っていた。紺碧の空をバックに再びアップする。
今日は一点の曇りもなく当に日本晴れである。心のありようもそうしたいものである。煩悩具足の身には難しいが、、、。
さて、今日は作品展二日目、後片付けがある。お手伝いに出かけよう。沢山鑑賞してくれたかな。
今日の社会は人間関係が希薄になり、連帯感とか所属感等という価値が軽視される傾向にあるといわれる。こうしたものは求めずしていては何も得られない。与えられるものではなく自ら行動によって取りに行くものであろう。
昨日は、終日町内の集会所につめ作品展の会場作りや展示作業をした。一つの目標に向かって作業する中で会話が生まれ知恵が出され、新たな温かい人間関係が生まれる。それは地域社会における自分自身の貴重な財産でもある。
そんなことを感じた一日だった。多くの方々が鑑賞してくれると有難い。
赤い色をしたトンボの総称で赤とんぼというが、童謡で歌われているのは、このマユタテアカネ(?)か。我が家の池育ちのアカネ、夏の頃のすばしこかさはどこへやら行動が鈍くなったのか近くによっても日光浴に夢中で逃げようとしない。そこで接眼レンズをつけて撮ってみた。たくさんいたが、たった一匹淋しいな。
さて、今日は町内作品展会場づくりのお手伝い、少しでも戦力にと出かけることにしよう。湖畔の轍の展示もしなくては、、、。
アップした写真は、私ども小学生の時習った国定教科書の一部である。週末に行われる町内作品展に私どもが歩んだ轍を少しでも理解してもらうために出展する一部である。
当時の教育は戦意高揚するための内容が多く、当然のごとく受け入れていたのである。それが敗戦を迎えある日突然、「それは間違いです。この部分はスミを塗りなさい]と先生に言われた。小学3年生のことである。
さてさて、今日もその準備をしよう。