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さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

学歴ロンダリングってナーニ?

2016年02月17日 | らくがき

「学歴ロンダリング」という言葉を聞いた。古市という社会学者が慶応大学の学部を卒業し、東京大学の大学院を修了したことを揶揄する意味で使われていたようだ。

“launder”とは「洗濯する」という動詞だ。“laundry”「洗濯場」は「ランドリー」という片仮名の日本語になっていますよね。それは「ローンドリィ」という感じの発音なんだが。さて「マネー・ロンダリング」という言葉がある。「資金洗浄」とは、不正に得た金を一度どこかに通すことによって、見せかけをきれいな金にするということだ。

というわけで「学歴洗浄?」ふつう学歴というものは最終のものを提示することが習慣なので(大学を卒業したやつが「僕は○×中学校卒なんだ」とか「○×幼稚園を出ました」とは言わない)、古市氏は「東大の大学院を出ました」と言ったり紹介されたりするでしょう。すると「慶応大学の学部を卒業したこと」は、まさか不正なことではないでしょうが、否定的なことで、それを「洗浄しやがってズルイ!」ということなのかしら?東大の大学院を出たけれど、「慶応の学部を出たんですけれどね」と付け足さなければインチキなの?

        

私にはこの「揶揄」のニュアンスが最初よくわからなかった。考えるに、ACミランの本田圭佑が「名古屋グランパス所属でしたでしょ」とか、大リーグで殿堂入りするだろうイチローが「オリックスの選手だったじゃないか」とかケチをつけているようなことなのか?

この変な言葉の由来には、どうやら「学歴コンプレックス」があるらしい。

日本のレベルの高い大学は入試の競争が厳しく、それに比べて卒業することは厳しくない。すると学歴にこだわるということは、事実上「どこで勉強したか」ということよりも、「どこに入ることが出来たか」にこだわることに近い。18歳の時点での学力、すなわち文科省が作成した学習指導要領の内容(つまり高校の教科書)をどれほど理解して記憶していたかという、実に基礎学力の成績を重視するということだ。

そこにこだわるのはどうして?日本の教育システムでは、専門的な学問を学ぶのは大学に入ってからなんですけど。確かに高度な学問を習得したかどうかということは大学の成績表ではほとんどわからず、入学試験に比べると目に見える客観的評価は無いに等しいのですが。

学者であれば、己の評価は著作や論文、研究のパフォーマンスでされる(されたい)はずであり、どこの学部や大学院に通ったかということにはこだわらないでしょう。大学院に進学の際は、選択の要素は自分が学びたい師匠がいるかどうかが第一であり、その他研究環境(図書館の蔵書や、理系であれば実験の機器など)といったところでしょうか。つまりその大学院がある大学の学部の入試の難易度とはあまり関係がない。

実は私も、とある大学の学部に入ってから別の学部に転部し、その大学とは別の大学院に進学して、それから海外の大学院に行きました。好奇心の赴くままに道を進んできたのであって、「洗浄」してきたわけじゃない(^益^; そういえば日本の大学院にいたとき、その学校は幼稚園から大学院まで同じ敷地内にすべてありました。幼稚園から通ってないと「ロンダリング」なのかしら?

米国の言語学者ノーム・チョムスキーは、「私にとっての大学は、2~3人の指導教授と図書館以外にほとんど意味はなかった」と言っています。そこに関して私は禿同(激しく同意)です。人生のどの時点でどこの大学に所属していたかなんてまるっきり関心がありませんでした。なので「揶揄」がピンとこなかったのですね。