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さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

慶長遣欧使節 4

2016年02月29日 | 東北シリーズ

   

仙台市博物館では、支倉常長(はせくらつねなが)の展示コーナーがありました。
これがなかなか見応えがありましたよ。

時は慶長、家康の江戸時代。ヨーロッパでは大航海時代で、スペインが世界最大の
植民地を持っていました。アジアではフィリピンを拠点にして、日本にもやって
きたのです。カトリック側のスペインやポルトガルに対して、プロテスタント側の
イギリスやオランダもアジアに進出してきており、家康はオランダの船でやって
きたイギリス人のウィリアム・アダムス(三浦按針)を外交顧問にしていました。
家康はキリスト教の布教を許すと植民地化されかねないと考え、微妙に距離を
とっていました。

そんなときに、伊達政宗は家臣の支倉常長をヨーロッパへ送り出しました。それが
慶長遣欧使節です。その目的は仙台藩がスペインと軍事同盟を結び、倒幕を諮った
という物騒な説もありますが、通商交渉であったという説が有力なようです。



使節団は慶長18年(西暦1613年)、スペイン人の協力によって建造したガレオン船で
石巻を出航し、太平洋を渡ってメキシコに向かいました。



船は太平洋を渡ってメキシコに上陸し、こんどは大西洋を渡ってスペインを訪問し、
マドリードからバルセロナへ、そして地中海を渡ってジェノヴァ、フィレンツェ、
最終目的地はローマ・カトリックの総本山であるバチカンという壮大な計画でした。

ご飯に沢庵、味噌汁で育ってきた支倉さん、太平洋を渡るときは3ヶ月も船の中で
ひたすら保存食、メキシコではタコスを食べて、スペインではオリーブや生ハム、
イタリアに行ってからはスパゲティやピザを食べたの?刀をさしたままで?