さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

せつない飯盛山

2017年05月13日 | 東北シリーズ



飯盛山へやって来ました。山の形がご飯を盛りつけたように見えるということで
その名がついたようで、その単純でありがちな名前の山は日本中のあちこちにあります。

そのなかでも一番有名なのは、ここ会津若松にある飯盛山でしょう。白虎隊と呼ばれる
少年たちが、みんなで自刃したという悲しい出来事があった場所だからです。

山の入口には土産物屋さん。そして参道の右手にはエスカレーターがあり、じーさん
ばーさんでも楽に登れるのです。先日の四国の旅では一日30㎞を歩いた私なので、
わずか標高300ⅿの山にそんなんいらんがな、と思ったのですが、切符売り場の前を
通ったら、おばちゃんが「はいっ!こちらです!」と「入口はここしかないよ」的な
毅然たる断言をなさるので、ついそれに圧倒されて料金を払う。



わずかな距離の、たいしたことないエスカレーター。しかし利用を誘う若い女性の
録音されたアナウンスが流れている。「この階段を登るのはものすごぉ~~く大変
です。是非ご利用を・・・」なんて言っている。「ものすごぉ~~く」につい笑って
しまうま^^;



会津藩士の子弟たちで構成された白虎隊と呼ばれる少年兵士たちが、敗走するときに
この場所から町が焼かれているのを見て、「もうダメ。武士として潔く死にませう」と
自刃してしまったのです。哀れ子供たちの集団自殺。

武士の教育って、いまから思えばしょうもない洗脳ではないですか?死んじゃダメ
でしょ。恥じゃあないでしょ。お城で砲撃を受けた大山捨松さんなんて、その後生き
延びてアメリカに渡り、鹿鳴館の貴婦人とまで呼ばれるようになったじゃないですか。



ここから白虎隊の少年たちが燃えている会津の町を眺めたのです。



鶴ヶ城が見えています。
家族もみんな死んだ、と思ってしまったのでしょうな。(´;д;‘)ノ



少年たちの墓が並んでいます。



さて山から降りる途中、裏側に水脈があります。



洞穴が見えますね。これは猪苗代湖から会津盆地へ水を引いている用水路なのです。
江戸時代に、長い年月をかけて大変な工事を経て造られたものです。白虎隊の少年たち
が、敗走する際にこの用水路を潜って逃げてきた通路となりました。真っ暗な水路を
泳いで逃げてきて、ビショビショで山の上から自分たちの住んでいる町を見たら
燃えているのが見えて絶望したのでしょう。。。