「学歴ロンダリング」という言葉を聞いた。古市という社会学者が慶応大学の学部を卒業し、東京大学の大学院を修了したことを揶揄する意味で使われていたようだ。
“launder”とは「洗濯する」という動詞だ。“laundry”「洗濯場」は「ランドリー」という片仮名の日本語になっていますよね。それは「ローンドリィ」という感じの発音なんだが。さて「マネー・ロンダリング」という言葉がある。「資金洗浄」とは、不正に得た金を一度どこかに通すことによって、見せかけをきれいな金にするということだ。
というわけで「学歴洗浄?」ふつう学歴というものは最終のものを提示することが習慣なので(大学を卒業したやつが「僕は○×中学校卒なんだ」とか「○×幼稚園を出ました」とは言わない)、古市氏は「東大の大学院を出ました」と言ったり紹介されたりするでしょう。すると「慶応大学の学部を卒業したこと」は、まさか不正なことではないでしょうが、否定的なことで、それを「洗浄しやがってズルイ!」ということなのかしら?東大の大学院を出たけれど、「慶応の学部を出たんですけれどね」と付け足さなければインチキなの?
私にはこの「揶揄」のニュアンスが最初よくわからなかった。考えるに、ACミランの本田圭佑が「名古屋グランパス所属でしたでしょ」とか、大リーグで殿堂入りするだろうイチローが「オリックスの選手だったじゃないか」とかケチをつけているようなことなのか?
この変な言葉の由来には、どうやら「学歴コンプレックス」があるらしい。
日本のレベルの高い大学は入試の競争が厳しく、それに比べて卒業することは厳しくない。すると学歴にこだわるということは、事実上「どこで勉強したか」ということよりも、「どこに入ることが出来たか」にこだわることに近い。18歳の時点での学力、すなわち文科省が作成した学習指導要領の内容(つまり高校の教科書)をどれほど理解して記憶していたかという、実に基礎学力の成績を重視するということだ。
そこにこだわるのはどうして?日本の教育システムでは、専門的な学問を学ぶのは大学に入ってからなんですけど。確かに高度な学問を習得したかどうかということは大学の成績表ではほとんどわからず、入学試験に比べると目に見える客観的評価は無いに等しいのですが。
学者であれば、己の評価は著作や論文、研究のパフォーマンスでされる(されたい)はずであり、どこの学部や大学院に通ったかということにはこだわらないでしょう。大学院に進学の際は、選択の要素は自分が学びたい師匠がいるかどうかが第一であり、その他研究環境(図書館の蔵書や、理系であれば実験の機器など)といったところでしょうか。つまりその大学院がある大学の学部の入試の難易度とはあまり関係がない。
実は私も、とある大学の学部に入ってから別の学部に転部し、その大学とは別の大学院に進学して、それから海外の大学院に行きました。好奇心の赴くままに道を進んできたのであって、「洗浄」してきたわけじゃない(^益^; そういえば日本の大学院にいたとき、その学校は幼稚園から大学院まで同じ敷地内にすべてありました。幼稚園から通ってないと「ロンダリング」なのかしら?
米国の言語学者ノーム・チョムスキーは、「私にとっての大学は、2~3人の指導教授と図書館以外にほとんど意味はなかった」と言っています。そこに関して私は禿同(激しく同意)です。人生のどの時点でどこの大学に所属していたかなんてまるっきり関心がありませんでした。なので「揶揄」がピンとこなかったのですね。
ネットを開くとYahoo! JAPANが出てくる設定になっているので、嫌でも最初にニュースの一覧が目に入ってしまう。サッカーの試合を録画していて、あとで見ようと思っているときなどは要注意だ。「日本3-0で快勝!」なんて見出しが目に入ってしまったら大変な興ざめなのである。
先日3歳児が虐待されて死んでしまったらしい。そういうニュースが出てきたら、テレビであればすぐにチャンネルを変え、新聞ではその記事は目に入れないようにする。でないとあとあとずっと精神的苦しみを引きずることになってしまう。長期間にわたって心の平和を乱されてしまっては、日常生活に支障をきたすのある。俺は重度の泣き虫なんだよ!それでネットを開いたとたんに「ママ苦しいよ」ときたもんだ!
俺は怒っているんだよ!考えてもみてくれ。多くの人がチ○コマ×コ見たがっているのに、だからそれ系は永遠不滅で商売繁盛になっているというのに、モザイクかけてるのはなぜだ?「見てて不愉快になる人がいる」という理由だろう。お金払ってでも見たいものを解禁にしたら、そちらの商売が成り立たなくなるという理由ではない。「見たくないんだよ」という少数派(か?)を尊重するからでせう。だからやめてほしい。小さい子供が虐待されたの死んだのというニュースをやたらに出すのは。俺はすごくイヤだっ!
運転免許を更新するときの話だ。くだらん講習ではつまらんビデオを見せられる。そこで乱暴な運転で小さい子供が殺される話が出てきた。子供を失った母親の癒えることのない苦しみが語られる。かわいい女の子の顔が出てくる。見てられねーよ!(´;д;`)
講習を受けていたひとりのおばさんが、映像を見ていなかったらしい。担当の役人が横柄な口調で「よく見ていないと免許更新をさせませんよ!」と高飛車な注意をした。もしそのおばさんが、小さな子供を交通事故で失くしていたらどうするんだよ。それでも免許を更新するためには、そんなビデオをじっくり見てなきゃいけないのかよ。マ×コ出してつかまるなら、そんなビデオ見せるやつは2~3年牢屋で頭を冷やしてこい!
朝日新聞の一面に、石巻のタクシーの話が出ていた。
なんと真面目な新聞の一面に、「ヲバケが出る」という話なのである。東スポや
夕刊フジじゃないんですよ。天下の朝日なんですよ。東北の大学生が、震災後の
調査をしたという記事です。
石巻のタクシーの話。真夏だというのに季節はずれのコートを着た女性が乗り込み、
震災地区の住所に行けという。様子が変なので運転手が「あそこにはいま何も
ありませんけど?」と話しかけると、「私、死んだんですか?」と震える声で
言って消えてしまったとか。
そういうのが1回2回の話ではなく、メーターを倒したのに消えてしまうもの
だから料金を取ることができず、自腹で補てんすることになってしまうそうです。
タクシーの運転手にはそういった話をすると怒り出す人もいるとか。多いの?
なんか作り話に聞こえませんよねー!
私はヲバケがいるとしたら、一度お会いしてみたいと思っているんですけど、
残念ながらまだお会いしたことがありません。お会いできたら言いたい。
乗ったのならばせめて料金は払ってね、と。
タクシーの運転手は収入が少なくて生活が苦しいのは有名です。しかも震災地で
ひどいじゃないか。出るんだったら、悪徳政治家だとか、復興につけこんで私腹を
肥やしている連中だとか、東電の役員にしたほうがいーですよw オレデモイイケド
さてさて、そこで思い出したのが震災地区に行くバスに乗ったときのことだ。
「石巻 門脇小学校へ 56」に書いてありますが、もう一度。
私は石巻駅前から、市内循環のバスに乗った。震災地区に行って、津波をかぶって
残骸となった門脇小学校の校舎を見たいと思ったからです。
乗客は私ひとりでバスは出発。
最初は街なかを走り、日和山をぐるりと回って町を一周するコースで、その山の
反対側は津波でほとんど更地になってしまいました。そこにポツンと門脇小学校が
残っているはずなのです。
「門脇小学校前」というバス停があるはずで、バスは広大な更地を走っていました。
なかなかそのバス停のアナウンスがない。どうなっているんだろう、と思った頃に、
バスの運転手がマイクで私に話しかけてきたのです。
あの~、どちらまで行かれるんですか?
門脇小学校に行きたいのですが。
そこはいま通行止めで通らないんですよね。。。
えっ!
いまから考えると、バスの運転手は「また出たかな、こりゃあ!」と思っていた
かもしれません。だって後ろのほうにひとりで乗車して、広大な更地しかない
エリアをずっと乗っているんだから。ぐるりと一周するバスのコースで、半分を
過ぎても乗っているって変ですよねー?とどめに「門脇小学校に行きたいの
ですが…」ときたもんだ。(^益^;
乗客ひとりなので、バスは止まりました。それで私は地図を持って前に行き、
バスのコースを確認。運転手は門脇小学校の近くではなく、海岸沿いの広々とした
更地を通って町に戻っていくコースを教えてくれて、小学校に行くにはこの先で
降りて戻ることになる、と教えてくれました。
そこで震える声を出して、どおして小学校に行かないんだぁ~~ とやったら
冗談にならなかったでしょうなあ。(^益^;
↑これがバスを降りて右に見える小学校に向かって歩き出したところです。
私ひとり降りて、運転手さんは少しホッとしたでしょうか。それとも「あれは
ヲバケだったのかなー」といまだに思っているかもしれませんね~。
中禅寺に到着です。およそ800年前に建てられた薬師堂には薬師如来坐像があると
いうが…。
入り口は無人。書かれている通りに200円を箱の中に入れて、そして入ってみると
ご覧の通り、閉まっているじゃないかw 雨でも強風でも、まだ夕方でもないと
いうのにどうして??? 200円返せー!
ひどいなー。お寺だっつーのに詐欺だなー。薬師堂を閉めているなら、入り口で
そう表示しておくべきだよなあ。塩田平の景色のほうがずっと素晴らしくてタダだ。
さてここからは別所温泉に向かってしばらく歩くことになります。棚田もありました。
そしてずっと先まで続く長い一本道。冷たい風が吹いていたりしたらたまらんぞ。
雲が流れていて、ご覧のようにたまに日が陰ります。
数時間に及ぶ散歩でしたが、人を見ることがほとんどありませんでした。
さていよいよ別所温泉です。川沿いにこんな一軒家。まわりに並んでいる家もなく、
ぽつんと立っていて素晴らしい立地。こんなの売りに出ていたら、買いたくなって
しまうなあ。恐がりの人が遊びに来たら、「オバケ屋敷だ」と言って肝試しかなー^^
前回は150円の狭くて古い歴史のある湯に浸かったので、今度は新しい施設で大きな
風呂に入ることにしました。
今度は広くてよかったけれど、こういう施設はどこも似たようで、やっぱり味わいが
なかったかな。ところで、湯に浸かっていたら、やたらに距離が近く寄ってくる若者が
いました。ふつう広々した湯船で他人に近づいてくる人はいませんよね~。そして
目の前で鼻を何度も洗う(゜益゜)w あとでシャワーのところで、鏡に背を向けて浴びて
いました。打たせ湯?(^益^;
こういう人は、「知的障害」だのなんだの言われます。他人との間合いがうまく
とれなくて、「浮いて」しまいがちです。最近は「コミュニケーション障害」とか
言われるのもあるそうで。
ぼうっと湯に浸かりながら考えました。先日乗っていた満員電車でいざこざがあり、
おとなしそうな青年が大きなおじさんに突き飛ばされていました。毒づいている
そのおじさんの顔は、理性のかけらもない攻撃的狂気そのものでした。そういうのは
「理性障害」とでも言うのでしょうか。
「理性障害」といえば、テレビで見たヘイトスピーチで喚いている人、選挙違反の
確信犯である政治家が恥知らずな釈明をしている顔などが次々に思い出され、
そっちのほうが世の中に害をまき散らす「知的障害」であり、自分がどのような姿で
人の目に映っているのかをわからない「コミュニケーション障害」なのではないかと
考えたのです。
お休み処では、お母さんに連れられてきたお嬢さんが奇声をあげていました。
お母さんは静かにさせようと少々手を焼いていましたけれど、いいんですよ、
広くて空いているんだから。
そうだなあー。「知的障害」だの「コミュニケーション障害」だの言われる人たち
には厳しく生きづらく、一方で「理性障害」の人たちはいばりくさる世の中なんだ
なあ~と考えされられました。
まもなく夕方。この日は一日中歩いたよー。静かできれいで、素晴らしい景色の
塩田平のお散歩でした。
夜になって居酒屋のあとに、ここをお勧めしてくれたバーテンダーのいるバーに
行ってお礼と報告をしました。でもこの日はバーが満席になるほど混んでいたので
ゆっくり報告はできませんでした。また上田を訪れる日があったら、ゆっくり
お話をすることにしよう。これで上田の旅を終わります。