鉛温泉の朝を迎えました。深い「立ち湯」は趣があってよかったですが、もちっとひなびた
雰囲気があったらなあ、と少し贅沢なことを思ってしまいました。だって料理は立派だし、
とても連泊してのんびりする感じじゃなかったんですもん。
番頭さんと話をしたら、最近はやはり外国人の客も多くなってきたそうです。まあ箱根の
ように、毎日うじゃうじゃ、という程でもありませんが。
中国人のお客さんで、部屋に内風呂、トイレ、水回りがないからと怒り出した人もいたとか。
「別にその不便さを隠しているわけじゃないし、そういう古さを味わってほしい」と丁寧に
説明しても怒りはおさまらなかったのに、帰るときには「よかったー!」と抱きついてくる
ので、「よくわかりませんよー^^;」とおっしゃってました。俺、なんかわかるー^^
部屋にトイレはない不便さはあっても、ゴミひとつ落ちていない清潔さなんだよ~。
設備は古くても、どこもかしこもピカピカなのが日本の旅館。
ロビーで新聞を読んだら、昨日訪れた大槌の町が一面の話題になっていました。
町の区画が整理されても、7年が過ぎて避難した住民が戻ってこないとか。
そうなんです。造成地はスカスカだったですよー。
戻る人は4割だって。みんなもっと早く戻りたかったんでしょうけどね。。。
この日は花巻から仙台に向かいます。電車は途中「小牛田」(こごた)で乗り換え。
そこで途中下車をして昼飯を食べる予定なり。
駅のわりと近くに、こんな昭和な食堂がありました。まるで「孤独のグルメ」に出てきそう。
うわー、いい感じ。サラリーマンや近所のおばさんたちなどが来ていました。左の小上がり
では、サラリーマンがひとりで、正座をして定食を食べていました。
旨くて安い。うちの近所にあったらなあ。それに、働いている女性3人がとっても素敵な
感じなんですよ。。。(*´д`*)… うちの近所にあったらな。。。。。
小牛田の駅に戻ってきました。揚げ物を食べたあとなので、食堂で一服したかった。
灰皿はテーブルにあったんですよ。でも、素敵な女性3人が働いているところで、煙を
モウモウさせるわけにはいきません。
もしかして、禁煙って、意外と簡単にできたりするのか?横にいる人によって!
ホームのずっと先に見えますか?喫煙所があるんですー。
電車の本数はとても少ない田舎の駅で、ホームにはだ~れもいないんですよ。それでも、
あんなはじっこに、雨に濡れるところに追いやらなくたってよさそうなもんじゃないか?
半径数十メートルには誰もいなかったので、とりあえずこちらの屋根のあるところで
吸い始めました。そしたらこういうこともあるもんだねえ。左奥に貨物車が見えるでしょ?
あちらのほうから、駅の職員さん3人が歩いてきて、このホームに上がってきたのです。
あたりには人もいないし、さすがに「あの灰皿の横で吸ってね」とは言われませんでした。
大槌、釜石を最後に三陸を離れて、これから花巻の鉛温泉に向かいます。内陸部に入ると
まだだいぶ雪が残っていました。
そして山間部に入ると、もう銀世界だー。
途中の駅には除雪車がありました。
4人掛けボックス席の向かいに、白人の青年が座りました。この銀世界を旅していて、
なんと薄い半袖のシャツ。もしかすると、今は夏の南半球から来たとか?
熱心にスマホをいじっていて、突然「いまどこですか?」と聞いてきました。花巻まで
行きたいそうで、「俺もそこまで行くから大丈夫だよ」と応えてやってから会話が始まった。
出身はシカゴだそうで、あちらはもっと寒いから、半袖でも十分だとか^^;
日本の一流大学で、テクノロジーを勉強するために留学でやってきて、授業のない休みの
間に東北に旅行に来たそうです。とっても聡明な青年でした~。
一方で俺は国内外を旅行しているとき、その土地の人と話をすると、「いやあ、知らない街を
ふらふら彷徨って、そこの酒を飲むのが目的かなあ~」なんて言うな、と考える。。。
花巻に到着。ここから温泉街への送迎バスに乗る。
山の中は雪が深い。宮崎県から飛行機に乗ってやってきたおばさんは、「すごいわねー!」と
興奮して、ずっとハイテンションで運転手さんに話しかけていました。
ちなみにこの温泉街への送迎バス、なんとほぼ満員。4分の3くらいは女性で、男は夫婦で
来ているくらいだ。女子大生グループ、OLグループなんかがいて、「着いたらすぐに
お風呂に入ろうね!」「化粧落としたら、お互い誰だかわからなかったりして、あっはっは」
なんて楽しそう。
私の泊まる鉛温泉は、立って入るほど深くて有名な混浴だ。(=゚益゚):;*.’:;
送迎バスは、いくつかの温泉地に停車し、その度に何人かの客が降りて行く。俺の宿は
一番奥だ。最初の温泉宿で、賑やかな女子大生グループが降りて行った。 静かでいーや!
その次あたりで、美人OLグループが降りて行った。。。 風呂が空いていーや!
途中の温泉地に止まる度に、客は次々と降りて行き、最後の鉛温泉では俺ひとり!
ブログのタイトル通りになっていーや! (T益T)
というわけで、鉛温泉のお宿に到着です。さっそく「立ち湯」に入りましたが、はしゃいだ
3人組の大学生がうるせーし、おやじがしかめっ面で動かねーし、こんな環境の混浴風呂に
女性が入ってくるわけねーよなあ^^; ちなみに女性の方は、「女性専用時間」が
あるので、そこで安心して入れます。
温泉宿の窓から見た景色、不変ですよねェ~。
山奥の温泉宿だと、このようなゴージャスな夕食を避けて通れない。俺が普段食べる量の
3倍以上です。これを半分にして、宿泊料金を下げてくれればいいのになあー。
温泉好きな私の友人は、「から揚げ定食でいいんですよ」と言っていました。数百円?
俺は、上の画像で言えば刺身と酢の物くらいでいいかなー。千円?
大槌も仮設商店街が閉鎖されつつあり、シフォンケーキのおばさんもどうなったのか
わからずじまい。ちょっと切ない大槌訪問となったのでした。バスが来るまで1時間
あまりも余ってしまい、ボウッと川べりのバス停で時間を過ごすことになりました。
釜石へ戻るバスは、整地されつつある大槌の町を通ってゆきます。ぽつんと建った新築の
家。あそこに住む人は、いまどんな気持ちなんでしょうねェ。
以前にはなかったコースをバスは走り、「マスト前」というバス停を通過。新しく出来た
大型ショッピングセンターなのでした。
川沿いは工事。その上を鉄橋が造られています。どこもかしこも、まだこんな光景。
うわー、鉄橋が途中まで出来ているのですが、それが延びて向こう側の山のトンネルを
通過するのかあ。
左側には線路が建設中。いずれ南リアス線~JR山田線~北リアス線が連結して、気仙沼
から一気に久慈までつながる予定だそうですぞ。
震災から7年。7年経っても、まだまだの状況ですー。
ブラブラと大槌の町を歩きました。土地は整備され、まだスカスカですが、家が建ち
始めています。震災から7年ですよ。
ちょうどその日の新聞でした。大槌の復興状態が記事になり、それを読んでみると、復興に
時間がかかり過ぎ、町の中心地の整備がされても、人々は戻ってこない、とあります。
区画整理が終わっても、戻る人は4割。これでは店も開けないし、どうするんだい。。。
新築の家を建てられる人、20年以上のローンを組める、ここで仕事のある人じゃないと
無理なんですよ。新しく家を建てる人には100万円の補助、なんてことを始めたそうですが、
焼け石に水ってやつですよねえ~。
旧市役所のお隣に、公共の箱モノは豪勢に建ったようですが。。。
町はずれの福幸きらり商店街にやってきました。まだあってよかった、と思ったが。。。
あらまー、昼からやきとりとホッピーで一杯やった居酒屋は閉店してます。まわりを見ると、
あちこち閉まってる。釜石と同じで、ここもまもなく閉鎖されるようです。
お向かいさんの向こう側には、なんか大きなスーパーが建っている。そおか、みんなあっちへ
行くんだね。
シフォンケーキの店も閉店していました。_| ̄|〇
あちこち、ドアには「長い間ありがとうございました。新店舗は…」とか貼り紙があるの
ですが、ここにはなく、ただ寂しく閉店しています。(´;д;`)
唯一食事のできる末広食堂に入ると、何人もお客さんがいました。
もうここしかないもんなあー。ラーメンはさっぱりしてて旨かったです。
震災が7年過ぎて、「仮店舗」は姿を消しつつあるのです。仮設住宅もそうですね。
新しい店や住居を買えない人はどうなったんだ?元の生活に戻ることは出来ず、みなさん
どうしているんだろう?
おばーさんがふたり歩いているでしょう?商店街を出たときに、とぼとぼと歩いている
ところにご挨拶したのです。ふたりは立ったまま少し休んでいて、やおら「さーてー、
もうちょっと頑張って行こうかあ~」と声を合わせて歩き出していました。スピードに
差があり、しばらくするとこんなふうに離れてしまっています。一緒にゴールする必要も
ないんでしょうが、待ってあげようよー^^;
ここは釜石駅前。バスを待っていると、消防車の編隊が鐘を鳴らしながら通過して行きました。
バスで大槌へ向かいます。この日から三陸を離れ、内陸の花巻へ行き温泉に宿泊する予定
なのです。釜石から真っすぐに向かえば、ホテルのチェックイン前に到着し、ゆっくり風呂に
入れる。しかしバスで30分ほどの大槌の仮設商店街に立ち寄りたかった。バスと電車の本数が
少ないので、大槌に昼飯を食べに行っていると、温泉には夕方5時過ぎてしまう!
ま、温泉は後回しにして、仮設商店街、手作りシフォンケーキのおばさんに会いにいかねば。
震災から7年が経ち、ようやく(?)このように家が建ち始めている感じです。
まだまだ、ようやく造成地が出来てきたというところも多い。
鵜住居(うのすまい)小学校は、高台に新設されていました。
風が強い日は、土埃がすごいだろうなあ。いつになったら町が戻るのか。。。
さてさて、懐かしい大槌に到着しました。震災で町が全滅したので、バスはまちはずれの、
この河原に到着したのでした。今回もここで下車。右奥のほうには建物が建ち始めている様子。
前回の様子。なんですか、これは、という感じですよねえ。
おお、まだまだ広々とした更地ばかりですが、新築の家が建ち始めています。ようやく?
ここは役所。津波でこの建物だけがボロボロに残ったのでした。これをモニュメントとして
このまま保存するか、だいぶ議論になったそうです。
東京に帰ってすぐの新聞記事です。解体に4700万円!残す、壊す、議会では同数!
議長採決で取り壊すことになったそうです。俺が見るのはこれが最後かな。
時計は津波が襲った時刻をさしたままになっています。