続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

八月一日。

2013-08-01 06:34:15 | 日常
 八月である。
 八月に入ると、海の水温はわずかずつ下がっていく。もちろん午後や夕方ならば問題はないけれど、午前中から海で泳ごうとするとちょっと寒い、そして日を追ってどんどん冷たくなっていく。
 それはわたしの夏休みに対する思いに比例していて、八月に入ると日を追って二学期への恐怖に襲われていく心理の冷え込み方に似ていた。光り輝く自由な日々の消失は何にも増して残酷なものだった。

 だから、今でも《八月》と聞くと、気分が萎えてしまう。

 朝顔、カンナ、向日葵・・・お祭り、盆踊り、花火・・・楽しいことがいっぱいな筈の夏休みが刻一刻と失われていく。


 ふと、思う、今はあの時の気分に酷似していると。押し迫った人生の残余。
 枯れかけた雑草かもしれないわたし・・・でも、雑草であるが故にもう少し執着を持って人生を謳歌したい。

 身体の劣化に精神が付き合う義理はない。精神が身体の劣化をなだめながらフォローしていく。ただでも不細工な身体の老化、みっともないわたしは、その条件を真直ぐ引き受けて生きていく、だからこそ生きていく。

 八月一日の寂しい風を、受けて立つ覚悟。

『ポラーノの広場』45。

2013-08-01 06:22:19 | 宮沢賢治
「えゝ。」
「あいつは悪いやつだぜ。あいつのうちがこっちの方にあるのかい。」
「ああぼくの旦那のうちから見え・・・」
「おい、こゝら何をぐずぐずしてるんだ。」うしろで大きな声がしました。見ると一人の赤い帽子をかぶった年寄りの頑丈さうな百姓が革むちをもって怒って立ってゐました。


☆和(争いを収める)法(仏の教え、真理)の譚(はなし)を納めることを兼ねている。
 化(形、性質を変えて別のものになる)で代わる章(文章)が現われる。
 逸(隠れている)図りごとの釈(意味を解き明かす)。
 謀(はかりごと)の詞(ことば)は念(思い)を篭(とじこめる)。
 含むのは常に飛躍した衝(重要な所)を書く努めが律(きまり)である。

『城』1350。

2013-08-01 06:04:00 | カフカ覚書
たがいに意中を確かめるように顔をちらりと見合わせてから、じっとKを見つめていたふたりの視線には、それほどはげしいおどろきの色がうかんでいたのである。

 ちらりと/kurzen→Kurs/進路、(進む)方向

☆たがいに洞察しあい、(先祖の進むべき)方向を理解した。現に視線を逸らさないほどに驚いていたのである。