続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

炎天下、10キロ。

2013-08-18 06:35:29 | 日常
 このまま家の中にいて(歩けなくなったらどうしよう)という思いに苛まれている。

 Walk・・・歩く、これしかない! 1キロはおろか500メートルも歩くのが嫌なわたし・・・。
 敢えて、「よこすか京急沿線ウォーク」に参加。

「明日の運動予定は控えたほうがいいでしょう」天気予報で注意を呼びかけている昨今、10キロも歩くのは危険?

 暑くても寒くても比較的耐えられるようになっている身体、酷暑には自信がある。
 歩く予定の無い八月・・・(歩かなくては)の思いからヴェルニー公園へ。散々並び、立っていることだけでへこたれそうになったけど、いざ歩き出したらそれなりに浮き浮き♪

 汐入駅から坂本交番前までの坂は小学校低学年のとき書道教室へ通った道、途中の子之神社はわたしの七つのお祝いをしたところ・・・思いがけず遠い記憶が甦り、一人で参加していることも忘れる胸のざわつき。
 それから不入斗(ここは母方のお寺である西来寺へいくのに通る道)を通り上町から富士見町(ここは結婚当初住んでいたアパートがあった)を通り田戸台(ここはわたしの生まれた場所)へ。聖徳寺から旧海軍横須賀鎮守府司令長官官舎で缶バッチをもらいスタンプ(済)・・・長官官舎と地続きの隣でわたしは昭和22年生まれ、そのときの居住者は海軍中将ベントンW.デッカーさん、終戦時の横須賀の立役者である。その人と隣り合わせにいたことに66年も経ってからの感慨。

 それから、うみかぜ第三海堡遺構を見て魚市場、大津漁港、馬堀海岸までの海沿いを歩き、山を越えて浦賀駅、浦賀ドック内のコミュニティ広場へとゴール。

 このコースはどこもかしこも懐かしさの溢れた過去のわたしが確かに存在していた街、そして道。

 暑かったけど、暑さを忘れるほどの懐かしさ。見知らぬ人ばかりの中を、それでも同じ目的で同じ方向を歩いて行くって何だかスゴク楽しかった。

 ハウジングプラザ横須賀のサービスでサイダーを頂いたけど、その美味しさたるや・・・ありがとうございました。

 猛暑の中、要所々で案内のカードを持ち指示をしてくださった方々、本当にありがとうございました。

『ポラーノの広場』62。

2013-08-18 06:24:39 | 宮沢賢治
 すると山羊小屋の中からファゼーロよりも三つばかり年上のちゃんときゃはんをはいてぼろぼろになった青い皮の上着を着た顔いろのいゝわか者が出てわたしにおじぎしました。

☆太陽の曜(かがやき)は照(普く光があたる=平等)也。
 自由な太陽への念(思い)、神は象(姿)を秘(人に見せないように隠している)
 帖(書き付け)に記した鬼(死者の魂)は、信仰で謝った(わびる)と、推しはかられる。

『城』1367。

2013-08-18 05:47:15 | カフカ覚書
そこで、覗き穴のある場所を手さぐりでさがそうとしたが、穴をふさぐ板が非常にうまく嵌めこんであるのか、手さぐりではどうしても見つけだすことができない。しかたなく、マッチをすった。

 手さぐりでさがす/ertasten→ertappen/不意を襲って捕える、
 のぞき穴/Guckloch→Guck rach/見る、復讐。
 うまく嵌めこむ/einpassen→Ahn passen/先祖、都合がよい
 マッチをする/zundete・・・(ある人の)道を照らす。
 Stelle→still/ひそかに、内々で、

☆そこで、のぞき穴(復讐を見る)を不意を襲って捕えようとしたが、先祖に都合よく内々(秘密)になっていて、この方法で見つけ出せない。それゆえ、言葉で道をつけることにした。