続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『松田正平展』を見て。

2013-08-03 07:11:33 | 美術ノート
「油絵が分からないから描く」と言った松田正平。


 ごくオーソドックスな描法を、芸大・留学にて習得したはずの作家の言葉には奥行きがある。

 二十年来の結実と語った橋秀文先生の思いの集約は「悠久の周防灘」にあるらしい。松田正平が油絵科に通った頃、建築科に在籍していた洲之内徹とは「笛吹き」のモデルに名が挙がるほどの親交。そういえば、覚えのある作品が幾つも・・・洲之内徹の紹介(気まぐれ美術館)だったかもしれない。

 目利きのお眼鏡に適うということは、言わずと知れた実力の持ち主。本物を見たいとの願望も、多くは山口県立美術館にあっては少々遠隔の地、そう簡単には観ることが出来ない。
 館内の賑わいはそうした事情もあったと思われる。(わたしもその一人)


 色、形への執着は松田正平の世界であって、自身の分からないことへの追求である。無に帰していく世界(景色)への押し問答が静かに聞こえる「周防灘シリーズ」曖昧模糊としたとした色調の中に緩やかな呼吸、明るさが潜んでいる。人も船も幟も空も海も・・・現存するすべてが一体となって息づき、漂う空気の温度が松田正平の体温ででもあるかのような世界観がそこに在り、観ていると「そうだ」と肯きたくなる風景なのである。

 松田正平の眼を確かに見届け、展覧会を満喫。

『ポラーノの広場』47。

2013-08-03 06:48:38 | 宮沢賢治
「あゝさよなら。ぼくは役所からいつでも五時半には帰ってゐるからね。」

 役所はヤク・ショと読んで、訳、諸。
 五時半はゴ・ジ・ハンと読んで、吾、字、範。
 帰ってはキと読んで、記。

☆訳(ある言語を他の言語に言い換える)の諸(もろもろ)、吾(わたくし)は、字を判/区別して記している。

『城』1352。

2013-08-03 06:14:48 | カフカ覚書
Kにはいつも、そして、このときもそうだが、フリーダがどうしてこんな助手どもを大目に見てやっているのか、どうにも合点がいかなかった。フリーダは、中庭で服にブラシをかけているはずの助手たちを長いことさがしていると、なんと下の食堂で気らくそうに昼食を食べていたのだった。

 中庭/Hof・・・〔天文〕(太陽、月の)暈、ハロー。
 昼食/Mittagessen・・・真ん中の食(生死の入口)

☆Kは、フリーダ(平和)が助手(頭脳)たちに常に根気よくしているのかを理解できないでいた。彼女は生死の入口(太陽の暈/ハロー)を美しく光らせているはずの助手(頭脳)を探していると、真ん中の食(生死の入口)にいた。