続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

暑さにも負けず。

2013-08-11 06:24:34 | 日常
 夏だから当たり前といえば当たり前かもしれないけれど、《暑い》

 朝から暑い、けれど、まだ六時半。(今日日中の暑さが思いやられる)

 洗濯を干しにベランダに出たら、前の家の婿さんが洗車をしている。せっかくの休日だけど、暑くて寝ていられないのかもしれない。夫は寝ながらうちわで扇いでいるし、やっぱりみんなちょっと堪える暑さなのだ。

 あちこち開け放ってじっとしていれば暑いというほどではないけれど、一日中ずっとこのままというわけにはいかない。食事の仕度も買い物も行かねばならない。

 ただ暑くて《ボォーッとしている》そんな懐かしい日々が甦る。何にも考えずにただボオーッとしていた子供の頃・・・もともと意欲的でない子供が、《頑張る》という言葉を胸に秘めるようになったのは何時のころからだろう。


 負けて、負けて、負けて・・・何もかも連戦連敗・・・《頑張る》という言葉は禁句になった。恥ずかしくて頑張っているという姿勢は挫け飛んでしまった。

 それでも人生は続いていて、死なない限り生きなくてはならないことに気付いたわたし。ほどほどに・・・力まず怠けず自分に課せられた宿題に向き合っている。


 猛暑の暑さよりも更に熱い志、目的を持って書いたであろうカフカや賢治の仕事を再読している。二人の仕事がわたしの背中を押して久しい。わたしはやっぱり頑張らなくてはならないのかもしれない。

『ポラーノの広場』55。

2013-08-11 06:15:18 | 宮沢賢治
その向ふの一そう烈しいかげろふの中でピカッと白くひかる農具と黒い影法師のやうにあるいてゐる馬とファゼーロかそれともほかのこどもかしきりに手をふって馬をうごかしてゐるのをわたくしは見ました。


☆考えは逸/隠れているが、烈(精神が正しく強い)の衷(心の中)を吐く(言う)。
 脳(頭や精神の動き)を具(手段)に告げている。
 営(こしらえた)方(方法)の詞(言葉)で場(場所や空間)を現している。

『城』1360。

2013-08-11 05:51:37 | カフカ覚書
もしかしたら、こんな遠方からなにかを見わけるなんて、どだい無理なことなのかもしれない。しかし、彼の眼は、見ることを欲し、城のこの静けさが気にくわないのだった。

 遠方/Ferne→Fahre/渡し場。

☆もしかしたら、こんな渡し場(現世から来世への)で何かを認めるなんて出来ないかもしれない。しかし、彼の眼は見ることを欲し、終末=死のこの立場には耐えられなかった。