続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

減量と運動。

2013-08-15 06:38:17 | 日常
 膝の痛み・・・それは、老いだと肯定的に甘受している。年配者としての当然の証、そして人生の後半レースは続いている。

 けれど「痛いのが普通と思っていませんか、痛くないのが普通です」という薬のキャッチコピー。(そうだ、痛くないのが普通なんだ)治癒、改善の努力なくして明日はない。

 で、どうすればいいの?
 その薬も服用したけど、はかばかしい徴候もなく今日に至っている。

「痩せることです、減量と運動を心掛けて下さい」医師の忠告。

 毎朝体重計に乗っている。確認し、ため息。好きなものを食べている・・・天ぷら・・・油は避けようとしているけど、難しい。野菜中心、魚生活、ここに油が入ると元の木阿弥なのだろうか。

 気分だけはどちらかといえば能天気、陽気な部類なので落ち込まない(それがいけないのかもしれない)

 座っている分にはどこも何でもない、立ちあがることに抵抗がある。だから、座りっぱなし・・・。


 わたしの生活は《どうしたら膝の痛みから解放されるか》にかかっている。不具合は即ち劣化である。不可逆なのだから、元に戻すことは期待できないと割り切り、むしろ、膝の痛みだけで済んでいることに感謝すべきと思うべきか。

 座ってばかりいるので、近ごろでは腰にも・・・。

 一病息災・・・減量と運動さえ心掛ければ健全な日常は戻ってくると信じたい。けれど、まだ(そんなでもない)という甘えと楽観が状況悪化に加速をかけている。
 元凶は《怠慢》、人のお世話になることのない人生を全うしたい! ならば、減量と運動。この二つの言葉がわたしの中で鳴り響いている。

『ポラーノの広場』59。

2013-08-15 06:27:39 | 宮沢賢治
「うちの方は大丈夫かい。」
「うん、」ファゼーロは何だか少しあいまいに返事しました。
「きみの旦那はなかなか恐い人だねえ、何て云ふんだ。
「テーモだよ。」


☆抱(心に抱く、思う)題(テーマ)は、常に普く化(教え導く)であり、照(あまねく光があたる=平等)である。
 変(移り変わる)字による談(話)である。
 納めているのは、教(神仏の教え)であり、忍ばせて化(教え導くこと)を運/めぐらせている。

『城』1364。

2013-08-15 05:58:06 | カフカ覚書
 Kがまだ灯りのともっていない縉紳館のところまでやってきたとき、二階の窓のひとつが空いて、毛皮の上着を着た、よくふとった、ひげをきれいに剃った若い男が、身をのりだすようにして、いつまでも窓から下を見おろしていた。Kが挨拶をしても、かすかな会釈さえ返さないようにおもわれた。

 灯りのともっていない/unbeleuchteten→unbe leute/否定・庶民。
 縉紳館/Herrenhof→Hof/太陽の暈・ハロー。
 かすかな/leichtesten→Leiche/死体。
 窓/Fenster→Finster/(天文)蝕。
 太った/dikker→decken/覆う、隠す。

☆Kがまだ人でない人たち(本当の意味で死んでいない人たち)が太陽の暈/ハロー(生命の出入口)のところにいて、先祖が蝕(死の入口)で拘留されているのを見た。先祖の男が完全に破壊(死んでいる)しているのを隠して人間の皮を着て身を乗り出すようにしていつまでも蝕(生死の入口)に留まっていた。
 Kの挨拶にも、死体は肯き返すこともなかった。