続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

多種多様。

2013-08-20 06:33:51 | 日常
 ウオーキングのイベント、自由参加で何の拘束もない集いにはいろいろな人が集まる。
 元気のいい若者が遊び感覚でというグループ、あるいはカップルなどが目立つけれど、わたしのように少しくたびれて「大丈夫ですか」と声をかけられそうな年配者もいなくはない。むしろこちらのほうが真剣であり(歩き徹すぞ)という秘めた覚悟を抱き、悲壮感と道連れである。

「息子の嫁さんの世話にはなりたくありませんから」と逗子から見えた老人。
「端から当てにしていませんよ」と、東京は平和島から見えた老女。
 出来うるならば、誰の世話にもならず、《向こうへ無事歩き徹したい》切実な願いはみんな同じである。

 肯きあって、苦笑いしながら、目的のゴールへ向かった。


 ひょっと目をやると相前後して歩いている二人、母娘か友人なのか・・・太ったわたしよりも更に太っている二人。
《ダイエット》
 しかし、二人とも何かを食べながらのウオーキング。天下泰平、文句はない。


 わたしが見る限りでもっとも目を引いたのは、猫を抱いて(否)人形を抱えて歩いている中年の男性。ゴム製、金髪、ドレス、青い目の人形、高さ三十センチくらいで、背後からはその髪の毛だけが見えていたので猫かしらとも思った次第。
 まるで遺影でも掲げている感じで黙々と歩いている。亡き妹、あるいは亡き恋人の愛したお人形なのかもしれない。
 彼から変質を感じ取ることをわたし自身が拒否したのか・・・八月最中の炎天下。

 一歩外へ出ると、それぞれ多種多様な人たちが同じ時代を生きていることが伝わってくる。

『ポラーノの広場』64。

2013-08-20 06:23:08 | 宮沢賢治
「そら、こっちが東でこっちが西さ。いまぼくらのゐるのはこゝだよ。この円くなった競馬場のこゝのとこさ。」
「乾溜工場はどれだろう。」ミーロが云ひました。

☆闘いの際の怨みは、恐ろしい。
 場(状況)の情(物事に感じて起る心の動き)の換(心変わり)の理由は、交(付き合い)の常なる運/めぐりあわせである。

『城』1369。

2013-08-20 06:05:03 | カフカ覚書
察するに、フリーダの後釜になった娘にちがいなかった。彼女は、すぐに気をとりなおして、電灯のスイッチを入れたが、依然として不機嫌そうな顔つきをしていた。

 後釜/Nachfolgerin→Nachen folgern/小舟、(或事から或事を)推論する。
 電灯/elektrische Licht→elektrische right/電気(ぞくぞくするような)、正義。

☆察するに、フリーダ(平和)の言っていた小舟の推論にちがいない。彼女はすぐに理解し、ぞくぞくするような正義に向き直り、まだ悪い予感の顔つきをしていた。