続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

街の変貌。

2013-08-28 06:41:36 | 日常
 街の様相は移り変わっていく、それと知らぬ間に大きく景色を変えている。

(ああ、あのさいか屋が・・・)
 子供の頃、「エレベーターに乗りにいこうか」などと言って近所の子とトンネルを越えて出かけたことがある。向こうが見えるほどのトンネルを潜るとそこはもう繁華街。
 さいか屋は憧れの詰まった手の届かない商品が並ぶ近代的なビル、わたしはただそれを眺め、恐々エレベーターに乗ったりした。従兄弟たちと行って迷子になり呼び出してもらったこともある。

 デパートとは縁のない低所得者暮らし・・・特売、バーゲンのチラシに踊らされて無用なものを買い込む程度のお付き合い。

 それでも横須賀の象徴たるさいか屋本館が消えたことは衝撃である。
 取り壊され、大量の廃棄物が運び出された空き地・・・。


 ぽっかり穴の空いたような空間・・・昨日行ってみると、駐車場?

 十年後には12パーセントの人口減を見込まれるという横須賀の(これが現状なのか)と、しんみり。
 十年後には三人に一人が老人になるという日本・・・。

 老いてなお、老いに甘える時代は来ない。
 わたしたちはそれぞれ、「これから」を胸に秘め、大いなる課題としなければならない。

 変貌して行くのは街ばかりではない、そこに住むわたしたちの生き方にも関わるのだから。

『ポラーノの広場』72。

2013-08-28 06:18:22 | 宮沢賢治
「わたくしどもはもう競馬場のまん中を横截ってしまってまっすぐ野原へ行く小さなみちへかかっていました。ふりかへってみるとわたくしの家がかなり小さく黄いろにひかってゐました。

 競馬場はキョウ・バ・ジョウと呼んで、経、場、常。
 まん中はジュウと読んで、自由。
 横截ってはオウ・サイと読んで、生ふ、済。
 野原はヤ・ゲンと読んで、也、現。
 行くはコウと読んで、講。
 小さなはショウと読んで、照。
 家はカと読んで、化。 
 小さくはショウと読んで、精。
 黄いろはオウと読んで、往。

☆経(不変の真理)の場は常に自由であり、それは生ふ(生きる)済(たすけ)也。
 現われる講(はなし)は照(あまねく光があたる=平等)の化(教化)であり、精(たましい)の往(その後)である。

『城』1377。

2013-08-28 05:53:11 | カフカ覚書
「あのひとの言うことをお信じになってはいけませんわ」と、ペーピは言った。「フリーダは、ほかの者にはなかなか真似ができないほど自制のできるひとです。打明けたくないことは、絶対に打明けません。それでいて、打明けねばならね秘密を隠しているということをだれにも気どらせないのです。

 信じる/Glauben→grauen/恐怖、戦慄。

☆「彼女は恐怖ではありません」と、ペーピ(身分証明)は言った。「フリーダ(平和)は他の誰にも容易でないほど統治のできる人です。彼女は打明けたくないことは打明けません。それでいて、告白すべきことはあるのです。