続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

時間の中で。

2013-08-06 06:21:19 | 日常
 朝は四時から夕方は六時過ぎまで明るかった夏至も静かに遠のいていく昨今、(おやっ)と思うほどに早朝は薄暗く、帳の下りるのが早く感じられる。

 ああ、確実に日は動いている、時間というものには休止が無い。刻々と移りゆくことへの恐れと感慨。時間の中に居るというより時間の外で傍観しているようなわたし、ぼんやりとしていると取り残されて行くような寂寥感に襲われる。

(こんな怠慢な日々を繰り返していてはいけない)自らに言い聞かせる。(今日こそは)の思いが(明日から)になるのは昔からの慣習?そうしてここまで来たのだから・・・今さらと自己改革なる希望は放棄。
(いけない、いけない)と背中を突く勤勉、(身体の方が大事、怠慢こそが身を守る秘訣)と、微笑む怠慢。


 朝が来て、夜が来る。小学生のような時間割も無く、一日はほぼ自由な空白。

 少しづつ、昼の時間が短くなって秋へ移行して行く気配。
 そして、少しづつ確実に老いていく。

「焦りと投げやり」この二つが人生を台無しにするとはカフカの言葉。人生は隣村にさえ行き着く前に費えてしまうものかもしれない。

 どこで倒れてもいい覚悟、牛歩の歩みで自分を生きる。時間は有無を言わせずわたしを支配している。逆らえない時間は、やはりわたしの中にある。時間は残酷にもわたしの時間を暴力的に奪っていくのではなく、ただ等しく大いなる存在として生きている人を包んでいる。時間の中で(わたし)は主人ではない。
 (わたしの)66年の時間は重く、また霧消を前提とした時間の中に消えていく空無でもある。

『ポラーノの広場』50。

2013-08-06 06:11:52 | 宮沢賢治
「いや、結構ですよ。山羊といふやつはどうも足があって歩くんでね。やいファゼーロ、かけて行け、馬鹿かけて行けったら。』百姓は顔をまっ赤にして手をあげて革むちをパチッと鳴らしました。


☆訣(奥義)の講(はなし)は、散(ばらばらにする)の要(かなめ)を束ねる。
 部(区分けする)の考えは、場(場所、空間)を化(形、性質を変えて別のものになる)で、講(はなし)を飛躍させる。
 信仰の釈(意味を解き明かす)で趣(考え)を明らかにする。

『城』1355。

2013-08-06 05:53:31 | カフカ覚書
「そうよ、あんたたちは、ここに残るのよ」と、フリーダに言われて、やっと言いつけにしたがった。
「きみは、ぼくがどこへ行くか、知っているのかい」と、Kはたずねた。
「知っていますわ」と、フリーダは答えた。
「じゃ、もうぼくを引きとめないのかね」
「あなたは、多くの障害にぶつかるでしょう。そんなとき、わたしがなにか言ったところで、どうなるものでもないわ」

 残る/bleibt・・・戦死する。
 どうなる(意味する)/bedeuten・・・重要である。

☆「そうよ、あなたたちは、ここで死ぬのよ」と、フリーダ(平和)は言った。
 「きみは、ぼくがどこへ行くのか知っているのかい」と、Kはたずねた。
 「ええ」と、フリーダは答えた。
 「じゃあ、ぼくはもう戻れないのかな」
 「あなたは多くの障害に出会うでしょう。そんなときわたしの言葉が役に立つでしょか!」