続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

Oさんの誠意。

2013-09-05 06:49:29 | 日常
「歩こう会」が中止になったので、お茶のお誘いがあった。何となく四人のメンバーがつるんで、いつもの夢庵。

 長話・・・。
「あの日(3月11日)、やっぱりここにいたのよ。でもこの建屋平屋で頑丈なつくりなのかそんなに揺れなかったわ、ただ停電になっちゃって・・・」と言ったら、

「あの日、わたしはすぐに孫を迎えに保育園に行って・・・それからすぐにお握りをこしらえて、そうガスは停まらなかったから、天ぷらまで揚げたわ。」(凄いわ、すぐに食べ物のことを考えるなんて)

 このOさん、食べ物といっても自分のことは度外視、いつも周囲の人の事ばかりを考えている。手作りが好きで上手だけれど、いつも沢山の数を作って人にプレゼント。(昨日も手編みのボトル入れを頂いた)
 真似のできない誠意・・・(つくづくこの人を裏切れないと思う)

 いつも感心するのだけれど、娘さんの二人の子供の面倒(ほとんど彼女が育てたようなもの)、遠方にいる二人の息子さんの家族が夏冬の休暇にそれぞれやって来ると、それこそ全てに手を尽くし、ゲームの景品まで用意するらしい。あげく帰宅時には味噌醤油などの実用品から、小遣いまで持たせてのお見送り。
「もうずっとよ」と笑う。

 最近では足に不具合のある義兄が訪ねてきた折の大奮闘を聞いたけれど、スカイツリーから温泉まで至れり尽くせりの三泊四日・・・自分の時間を犠牲にしているとは考えないのだろうか。

《無私の精神》

 自分を惜しまないサービス・・・本当に凄い人というものは静かな微笑をたたえている、尊敬に値するステキな人である。

近づく不穏。

2013-09-05 06:28:02 | 日常
 明方・・・少し開けてある雨戸の隙間から微かに光が入った。(気のせいか・・・)何度もぼっと明るくなるけれど、相変わらず弱く淡い感じ・・・(何だろう)少しづつ空けてくる朝の気配。少しづつ強くなる不穏な光。

 やがて光に伴う音が・・・ああ、雷なのだ。間を置かずしてあたかも点滅しているかの間隔で稲光、そして落雷。

 徐々に、光と音の間隔が近くなってきた。その間、四十分くらいか、それ以上か・・・AM4:00~5:30くらいの間、雷は休むことなく北上・・・《ドスン、バリバリ!!!》物凄い轟音。

 そして土砂降りの雨。

 今現在遠ざかってはいるけれど、予報図では再びの落雷を示す赤いポイントが・・・。

 

 祖母の尋常小学校の教科書には「昨日の雨はいい雨だ、夜降って、朝止んだ」という詩が載っていたそうだけれど、今日の日を暴雨、落雷、竜巻のない一日になることを祈るばかり。
 地震(昨日の午前中)雷(今朝)に怯えている小心者のわたしを、これ以上パニックにしないでください。

『ポラーノの広場』80。

2013-09-05 06:10:39 | 宮沢賢治
「ミーロ、いくらだい。」
「一千二百五十六かな、いや一万七千五十八かなあ。」
「ぼくのは三千四百二十・・・六だよ。」


☆逸(隠れて)潜(ひそむ)字の飛躍(踏むべき順序を飛び越えてしまうこと)の語(言葉)は、自由な謀(はかりごと)でもある。
 溢れる番(くみあわせ)がある。
 死地を専(思うままにする)語(言葉)は自由也。
 算(見当を付ける)潜(ひそむ)詞(言葉)の飛躍を、字で自由に録(書き記している)。

『城』1385。

2013-09-05 05:49:18 | カフカ覚書
自分ではこの職に不満だと言っているが、思いあがりもいいとこだ。しかし、子供っぽくて、まだ分別もしっかりしていないにもかかわらず、彼女も、たぶんしろと関係があるらしい。

 思いあがり/Uberheung→Abhebung/(或事を)示唆している。
 子供っぽい/Kindlichen→Kirchlich/宗教上の。

☆いわゆるこの立場に不満だと言っているが、(実は或事を)示唆しているのだ。宗教上の無分別にもかかわらず彼女もたぶん城(終末=死)と関係があるらしい。