続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

西郷隆盛。

2013-09-23 07:01:13 | 日常
 ♪ 一かけ二かけて三かけで~ 四かけて五かけで橋をかけ~
   橋の欄干 手をやりて 遥か向こうを 見渡せば~
   十七・八の姉さんが~ 花と線香を手に持って~
  「もしもし姉さん どこ行くの」
  「わたしは九州鹿児島の西郷隆盛娘です 明治十年○月に 切腹なさった父上の お墓参りに参ります」
   お墓の前で手を合わせ~ 南無阿弥陀仏と唱えれば~ ♪

 何人かで円くなり手を打合わせて、これを歌う。歌いながら、確か ♪お墓の陰から幽霊が~ とか何とか言って最後にじゃんけんになる。そういう遊びの歌だった。昭和二十年代・・・すでに明治は遠かったかもしれない。九州の偉人を関東の子供が歌う・・・意味も何もわからずただ口伝えに覚えた歌。幽霊あるいはお化けが出るというのも戦争の哀話、怨恨がらみの歌であり、それを子供が遊びに歌ったのはやはり時代だったのだとしか言いようがない。

 昨日「八重の桜」を見て、ふと思い出した昔の遊び。

『ポラーノの広場』98。

2013-09-23 06:41:28 | 宮沢賢治
「三人は這ひまはって、あかりの数を数えてるんだな。はっはっは、」その足のまがった片眼の爺さんは上着のポケットに手を入れたまゝまた高くわらひました。


☆太陽神は赦(罪や過ちを許す)
 枢(かなめ)は、崇(気高く尊いこと)であり、それが則(道理)である。
 変(移り変わること)を含む也。
 照(普く光があたる=平等)は、鬼(死者)の衆(人々)の新しい考えである。

『城』1403。

2013-09-23 06:27:01 | カフカ覚書
 Kがおもっていたよりも長いあいだ待たされた。食事は、もうとっくに食べおわっていた。寒さが身にこたえ、薄暗がりがもう完全な闇に変っていたのに、クラムは、依然としてやってこなかった。

 食事/Essen→Essei/試論。
 闇/Finsternis・・・蝕(死の入口)

☆Kは思っていたよりも長く待たされた。もうとっくに試論の準備は出来ていた。冷酷さに傷つきながら、薄命が完全な蝕(死の入口)に変っていたのに、クラム(氏族)はやって来なかった。