続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

黄昏の輝き。

2013-09-17 07:02:51 | 日常
 先週の金曜日、外で話し声がする。聞くともなしに聞いていると、
「ねえ、あんた敬老の日の会合には行くかい?申し込まなきゃダメだけど、うちは息子が申し込んでくれたからね」と、弾んだ声・・・(Kさんだわ)
 90才すぎのKさん、足腰丈夫、眼も耳にも支障がなく、町内を闊歩している。(羨ましい)
 話しかけられたのはAさん(Kさんより若いようだけど、すでに手押し車でやっとのお散歩)
「わたしは・・・」なんて口ごもっている。

 確かに敬老の祝賀会には躊躇する人も多い。(まだそんな年では・・・とか年寄りの仲間入りには抵抗があるわ)などの理由で参加者は78才以上の規定だけどかなり少なめになる。かくいうわたしも・・・(やっぱり複雑)

 嬉々として祝賀会を待ち望むKさんは、年々その若さが際立っている。
 素直であること、一生懸命なことが若さの一番の秘訣ではないかと近ごろでは思う。100歳以上の人が5万5千人近く健在とのこと。90歳を超えたKさん、まだまだ元気。100歳なんて軽く飛び越えて行く感じがする。

 早くに両親を亡くし、義母には学校にも通わせてもらえず奉公勤め・・・「でもね、おっかさんは、給料日にはご馳走をこしらえて待っていてくれたんだよ」と嬉しそうに話したKさん。早くに夫を亡くし女手一つで息子を育て、早くに離縁した息子の妻代わりに孫の面倒を見、次々入れ替わる息子の女性たちにも尽くし・・・苦労続きとしか思えないKさんに、
「あんたも頑張りなさい」と激を飛ばされているわたし。

 落日の陽は燃えるがごとくの輝きを見せる。
 有終の美・・・飾ってみたいな。

『ポラーノの広場』92。

2013-09-17 06:50:23 | 宮沢賢治
「ねえ蜂だろう。だからあんなに野原中どこから来るのか知れなかったんだよ。」
 ミーロがやっと云ひました。
「さうでないよ。蜂ならぼくはずっと前から知ってゐるんだ。けれども昨夜はもっとはっきり人の笑い声などまで聞えたんだ。」


☆法(手だて)は、夜に現われる。自由な鬼(死者)が致(まねく)運/めぐりあわせである。
 法(手だて)は、全て智(物事を考える能力)による策(企て)也。
 腎(かなめ)は、照(あまねく光があたる=平等)を証(うらづける)文(文章)である。

『城』1397。

2013-09-17 06:08:09 | カフカ覚書
そのまえに黒っぽい、扉のしまった、二頭だての橇がとまっていた。馭者のほかには、だれの人影も見えなかった。もっとも、すでに薄暗がりになっていたので、馭者だとはっきり見わけがついたというよりも、遠目に馭者だろうと察せられたにすぎない。

 二頭/zwei→zwang/強制、拘束、義務。
 馬/Pferden→Pfad/小道。
 馭者/Kutscher→Kuster/会堂番。

☆そのまえに知られていない閉ざされた拘束(強制)の小道の措置がしかれていた。もっともすでに薄暗がりになっていたので、会堂番だとは見分けがつかなかった、というよりも、今は不在であり、会堂番だと思ったに過ぎず、誰もいなかった。