続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

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2013-09-13 07:03:03 | 日常
「7人家族の真ん中で」のファッジさんには感心を通り越して泣いている。

 介護のプロをも超える緻密な介護・・・昨日のブログ記事、三宅選手のように・・・(普通、出来ないでしょ)すごいわぁ!
 お義母さんが粗相をしても、どう言葉をかけようかと案じながら汚れを拭いていく優しさ(芯の強さ)ご実家のお母さんが泣くわけだわ・・・。


 こんな凄い人、この世の中にいることに驚嘆。

 
 ファッジさんを想うと、自分の身勝手な日常が恥ずかしい。
 ファッジさんを想うと、背筋が延びる。
 ファッジさんを想うと、涙がこぼれる。

 最近ではいつもファッジさんが胸の中にいる。ファッジさんなら(どう考えるだろう、どう行動するだろう)と。

 大和魂、大和なでしこを脈々と継ぐファッジさんのブログを至高のものとして毎日拝見している。(だから土曜日は淋しい)

 大好きというにはおこがましいほど立派なファッジさん。ブログを見せていただくことに深謝。

新しい世界。

2013-09-13 06:36:30 | 日常
 夢の如き人生、あっという間の出来事。

 もう終わり・・・の感。

 けれど、周りを見回すと《まだまだ》元気。遅れをとっているというか、(老化は)先に進行している。「お先に」の挨拶もしそびれているけど、かなり深刻な劣化状態。


 この状態を否定しては、存在の意味がない。記憶力、体力共に減退。では忘却力、遅滞力の増進は、意味がないのだろうか(確かに)。求める時間は少なくない。融通の利く時間の有効利用を考えてみる。

 視力の衰えは仕方ないけれど、見えないわけではない。機能は衰退しつつも辛うじて力を発揮している。つまり、望み薄ではなく期待してもいいのだと自身に言い聞かせてみる。
 
 新しい世界を生きるという心意気は、死を考える消極的で陰鬱な日常を払拭する。過去の自分との決別、日々新しい日はやって来る。その新しさを曇ったメガネで見ることなく、美しく透明な時間の推移に自らも新鮮な面持ちで飛び込んでいきたい。

 軽い気持での物言いではない、むしろ死を覚悟しているからこその新しさである。

『ポラーノの広場』88。

2013-09-13 06:16:09 | 宮沢賢治
 にはかにぼんやり青白い野原の向ふで何かセロかバスのやうな顫ひがしづかに起りました。
「そら、ね、そら。」ファゼーロがわたくしの手を叩きました。わたくしもまっすぐになって耳をすましました。おてゃしづかに呟やくやうにふるへてゐます。けれどもいったいどっちの方か、わたくしは呆れてつっ立ってしまひました。もう南でも西でも北でもわたくしどもの来た方でもさう思って聞くと地面の中でも高くなったり低くなったりたのしさうにその音が鳴ってゐるのです。


☆照(あまねく光があたる=平等)を吐く(言う)。
 夜に現われる講(はなし)は、化(形、性質を変えて別のものになる)で化(教え導く)。
 千(たくさん)の鬼(死者)の衆(人々)の考えを留め、字に隠して現す法(方法)を律(きまり)としている。
 難(わざわい)や災(不幸な出来事)から北(逃げる)苦しみを包む詞(言葉)の文(文章)は字に綿(連ねて)自由に考える態(ありさま)には、隠れた冥(死後の世界)がある。

『城』1393。

2013-09-13 06:06:44 | カフカ覚書
 Kは、ひと言も説明をしないで、いきなり酒場から出て、玄関のところで出口のほうへはいかず、建物の内部のほうへすすんでいくと、数歩で中庭に出た。

 酒場/Ausschank→Ausschlag/決め手。
 建物/Hauses・・・天の宮。
 中庭/Hof・・・(天)太陽の暈/ハロー。
 nach→nachen/小舟を暗示。

☆Kは先祖の言葉の説明なしで直ちに決め手に出た。結果ではなく、小舟はわずかに措置としての太陽の暈(ハロー)→死の入口として、天の宮に向いていた。