続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

歩けることの幸福。

2013-09-12 07:03:43 | 日常
 わたしの日常は「歩く」という行為が著しく欠けている。抜け落ちていると言っても過言でないほど歩かない(移動しない、出かけない)

 従って現在は明々白々、歩く機能が劣化。膝に支障を来している。この哀れな状況を少しでも留めたいと願う一心で「歩こう会」に参加させてもらっている。
 昨日は京急久里浜駅から怒田城跡~御林~安房口神社~信楽寺~大津運動公園(昼食)~妙心寺~曹源寺~衣笠十字路までを歩いた。山坂が少なく平坦な道だったので、何とか歩き徹すことが出来て安堵。

 家にいると、「あ、痛ッ、痛い!」なんて言いながら過ごしているわたし、とても「歩こう会」に付いていけるレベルではないのだけれどメンバーのお情けにすがっている。

 そのメンバー、昨日はYさん、Kさん、Mさん、Oさんがお休み、(もうどうすればいいの)と、内心がっかり。でも・・・とにかく歩かなくては!最後の一歩(あの世への一歩)はどんな意気地なしでも、自分で・・自分ひとりで逝かなくてはならない!との思い。その一歩まで自分の足で歩きたいという切実な願いを胸に一人参加・・・否、否、他のメンバーも温かく付き合ってくれた昨日の歩こう会、しみじみ幸福を実感したことでした。

『ポラーノの広場』87。

2013-09-12 06:35:59 | 宮沢賢治
そのうちなにだかわたくしどもの影が前の方に落ちてゐるやうなのでうしろを振り向いて見ますと、おゝ、はるかなモリーオの市のぼぉっとにごった灯照りのなかから十六日の青い月が奇体に平べったくなって半分のぞいてゐるのです。わたくしどもは思わず声をあげました。ファゼーロはそっちへ挨拶するやうに両手をあげてはねあがりました。


☆化(形、性質を変えて別のものになる)営(こしらえる)は、全て法(仏の教え、真理)に絡(むすびつく)。真(まこと)の考えは死の等(平等)を証(うらづける)。
 等(平等)という夢(空想)、仮の象(すがた)を合せ、鬼(死者)の態(ありさま)を描く。
 相(お互い)を察(よく見ると)、霊(死者の魂)が主(中心)である。

*ちなみに十六日の青い月は『水仙月の四日』の裏・・・逆・・・というか同じ月の形で、地平に対し垂直に弧(船形)を描き、それを三尊の象徴と捉え、信仰の対象になっている。

『城』1392。

2013-09-12 06:17:23 | カフカ覚書
「クラムは、いまは間違いなくいらっしゃいません。すぐお出かけになるのですから。すでに中庭で橇が待っていますわ」

 中庭/Hof・・・(太陽の暈)ハロー。

☆クラム(氏族)は、今確かに来世にいません。と、ペーピ(身分証明書)は言った。
 同じところ(彼方)で経験するのです。方法は確かに(太陽の暈)ハロー/生死の出入り口です。

*カフカは基本的に《死の入口を太陽のハロー》と考え《現世(地球)と来世(偽地球)の転換点を北極星》と考えている。もちろん物語の複線、下の案として。

 ドイツ語、無知・不如意のため、細かく拾いながら《点と線》をどこかでつなぎ、カフカの隠れた主張を浮上させるという観点で進めている。(「おまえは言葉を習うことから始めてもいい」・・・という一節を信じて、「解いてやろうという生徒がいない」と漏らすカフカに近づきたいと思っている)