明日というものは生きている限り確かに在る。
何かを決心して・・・《明日がある》と思うのは日常茶飯事のこと。なかなか片付かない不要物の整理。新しい試み、とりあえず視野の中に入れておく、という現実には何ひとつ解決しない対処法。
そうして月日のほうが無遠慮に過ぎて行く・・・(これは暴挙だ)とつぶやいても、ただ後悔だけが薄汚れのように蓄積されていく。
身の回りの整理が出来ない、(いつ死んでもいいように)エンディングノートは必要、通帳と印鑑、保険証書、お葬式の有り様、(東京では三割がお葬式なしで直葬とか、それもいいなと思う)・・・etc。
どこで明日が途切れるのか、不測の事態は《ある日突然》であって、残された者が家中を探し回ったあげく、失笑し、全てを廃棄処分にしてしまうことは十分考えられる。
まだまだ生きているだろうという楽観、呑気・・・飛ぶが如く月日は容赦なく過ぎていくというのに。
無に帰していくための準備は、目先のことよりも優先させなくてはいけない。そう思いつつ・・・今日も、たぶん明日も何もなしえぬままの日常に胡坐をかいているわたし。
《今、今でしょう!》
言葉が言葉のまま宙に浮かんでいるのを見ている、明日は無いかもしれないのに。
何かを決心して・・・《明日がある》と思うのは日常茶飯事のこと。なかなか片付かない不要物の整理。新しい試み、とりあえず視野の中に入れておく、という現実には何ひとつ解決しない対処法。
そうして月日のほうが無遠慮に過ぎて行く・・・(これは暴挙だ)とつぶやいても、ただ後悔だけが薄汚れのように蓄積されていく。
身の回りの整理が出来ない、(いつ死んでもいいように)エンディングノートは必要、通帳と印鑑、保険証書、お葬式の有り様、(東京では三割がお葬式なしで直葬とか、それもいいなと思う)・・・etc。
どこで明日が途切れるのか、不測の事態は《ある日突然》であって、残された者が家中を探し回ったあげく、失笑し、全てを廃棄処分にしてしまうことは十分考えられる。
まだまだ生きているだろうという楽観、呑気・・・飛ぶが如く月日は容赦なく過ぎていくというのに。
無に帰していくための準備は、目先のことよりも優先させなくてはいけない。そう思いつつ・・・今日も、たぶん明日も何もなしえぬままの日常に胡坐をかいているわたし。
《今、今でしょう!》
言葉が言葉のまま宙に浮かんでいるのを見ている、明日は無いかもしれないのに。