続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

明日はあるか?

2013-09-09 06:45:31 | 日常
 明日というものは生きている限り確かに在る。
 何かを決心して・・・《明日がある》と思うのは日常茶飯事のこと。なかなか片付かない不要物の整理。新しい試み、とりあえず視野の中に入れておく、という現実には何ひとつ解決しない対処法。

 そうして月日のほうが無遠慮に過ぎて行く・・・(これは暴挙だ)とつぶやいても、ただ後悔だけが薄汚れのように蓄積されていく。


 身の回りの整理が出来ない、(いつ死んでもいいように)エンディングノートは必要、通帳と印鑑、保険証書、お葬式の有り様、(東京では三割がお葬式なしで直葬とか、それもいいなと思う)・・・etc。

 どこで明日が途切れるのか、不測の事態は《ある日突然》であって、残された者が家中を探し回ったあげく、失笑し、全てを廃棄処分にしてしまうことは十分考えられる。

 まだまだ生きているだろうという楽観、呑気・・・飛ぶが如く月日は容赦なく過ぎていくというのに。

 無に帰していくための準備は、目先のことよりも優先させなくてはいけない。そう思いつつ・・・今日も、たぶん明日も何もなしえぬままの日常に胡坐をかいているわたし。


《今、今でしょう!》
 言葉が言葉のまま宙に浮かんでいるのを見ている、明日は無いかもしれないのに。

『ポラーノの広場』84。

2013-09-09 06:36:02 | 宮沢賢治
「よっぽどあるとも。」
「ぢゃ、行かう、まあもっと行って花の番号を見てごらん。やっぱり二千とか三千とかだから。」
 ミーロはうなづいてあるきだしました。ファゼーロもだまってついて行きました。


☆光は劫(極めて長い時間)の果(終末、はて)だと判(はっきりしている)。
 迎えて現われる譜(代々続く)遷(うつりかわり)、Sun(太陽)と地(地球)の講(はなし)である。

『城』1389。

2013-09-09 05:58:39 | カフカ覚書
「そう」と、Kは、ドアのほうをさしながら、「このとなりの部屋にテーブル・クロースを忘れたというんだ。白い、編んだやつだがね」
「ああ、あのひとのテーブル・クロースですね。おぼえていますわ。とてもすてきな出来ばえだったわ。あれをつくっていたとき、わたしも手つだってあげましたのよ。でも、この部屋にはなさそうですよ」

 ドア/Tur→Tour/企む。
 テーブル・クロース/Tischdecke→tauschen decke/欺く、覆う。
 編む/gestrickte→streiten/戦う、論争する。
 となり/nebenan→nebeln/(霧のように)漂う、不明瞭な。
 出来ばえ(仕事)/Arbeit→Alibi/現場不在証明。

☆企みをさし示しながら、不明瞭なテーマの欺瞞を覆う先祖の潔白について論争する。
「ええ、あのひとが欺瞞を覆うのを思い出します。とても立派な現場不在証明でした。そのさい、わたしも助けたんです、でもこのテーマには何もなさそうです」