今年が終れば、来年が来る。自然の成り行き・・・。
「来年は入学だ、卒業だ」と若いうちはそれなりにイベントというか区切りがあって、待つ待たないに関わらず、来年を念頭に行動することが多い。
けれど、わたしくらいの年齢になると、去年と今年の区別がつかないほど同じような日々の明け暮れで来年もまた・・・と、期待より惰性的な感情を抱かないとも限らない。
外で掃き掃除をしていたら、(90歳過ぎの)Kさんが通りがかった。
「○○さん所へ行って来たけど、留守だったよ」なんて軽く笑っている。(○○さんの所はかなり遠方)
気落ちすることなく笑い飛ばす元気(自分に比して、つくづく羨ましい)
「Kさんの元気が羨ましいわ、あやかりたいわ」と言ったら、
「なあに、近ごろはダメさ」といい、
「あんたの所の朝顔きれいだねぇ、種が出来たらわたしに頂戴」と言ってくれた。
(もちろん)肯きながら、『来年』を疑いもなく考え楽しみにするKさんの自然さに内心衝撃を受けざるを得なかった。
悲観的妄想を打ち砕いてくれるKさんの自然な健全さ。
幾つになっても、来年はある。《来年かと思ったら来世だった》なんて、気楽な自然体で行きたいな。
(Kさん、いろいろ教えていただいてありがとう)
「来年は入学だ、卒業だ」と若いうちはそれなりにイベントというか区切りがあって、待つ待たないに関わらず、来年を念頭に行動することが多い。
けれど、わたしくらいの年齢になると、去年と今年の区別がつかないほど同じような日々の明け暮れで来年もまた・・・と、期待より惰性的な感情を抱かないとも限らない。
外で掃き掃除をしていたら、(90歳過ぎの)Kさんが通りがかった。
「○○さん所へ行って来たけど、留守だったよ」なんて軽く笑っている。(○○さんの所はかなり遠方)
気落ちすることなく笑い飛ばす元気(自分に比して、つくづく羨ましい)
「Kさんの元気が羨ましいわ、あやかりたいわ」と言ったら、
「なあに、近ごろはダメさ」といい、
「あんたの所の朝顔きれいだねぇ、種が出来たらわたしに頂戴」と言ってくれた。
(もちろん)肯きながら、『来年』を疑いもなく考え楽しみにするKさんの自然さに内心衝撃を受けざるを得なかった。
悲観的妄想を打ち砕いてくれるKさんの自然な健全さ。
幾つになっても、来年はある。《来年かと思ったら来世だった》なんて、気楽な自然体で行きたいな。
(Kさん、いろいろ教えていただいてありがとう)