続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

永遠の来年。

2013-09-18 06:36:23 | 日常
 今年が終れば、来年が来る。自然の成り行き・・・。

「来年は入学だ、卒業だ」と若いうちはそれなりにイベントというか区切りがあって、待つ待たないに関わらず、来年を念頭に行動することが多い。

 けれど、わたしくらいの年齢になると、去年と今年の区別がつかないほど同じような日々の明け暮れで来年もまた・・・と、期待より惰性的な感情を抱かないとも限らない。


 外で掃き掃除をしていたら、(90歳過ぎの)Kさんが通りがかった。
「○○さん所へ行って来たけど、留守だったよ」なんて軽く笑っている。(○○さんの所はかなり遠方)
 気落ちすることなく笑い飛ばす元気(自分に比して、つくづく羨ましい)
「Kさんの元気が羨ましいわ、あやかりたいわ」と言ったら、
「なあに、近ごろはダメさ」といい、
「あんたの所の朝顔きれいだねぇ、種が出来たらわたしに頂戴」と言ってくれた。

(もちろん)肯きながら、『来年』を疑いもなく考え楽しみにするKさんの自然さに内心衝撃を受けざるを得なかった。


 悲観的妄想を打ち砕いてくれるKさんの自然な健全さ。
 幾つになっても、来年はある。《来年かと思ったら来世だった》なんて、気楽な自然体で行きたいな。
(Kさん、いろいろ教えていただいてありがとう)

『ポラーノの広場』93。

2013-09-18 06:23:17 | 宮沢賢治
「人の笑ひ声、太い声でかい。」
「いゝや。」
「さうかねえ。」」わたくしはまたわからなくなって腕を組んで立ちあがってしまひました。

 人はジンと読んで、仁。
 笑ひ声はショウ・セイと読んで、唱、精。
 腕はワンと読んで、One(一)。
 組んではソと読んで、狙。
 立ちはリツと読んで、律。

☆仁(思いやり)を唱える精(こころ)と対(向き合う)。
 照(あまねく光があたる=平等)が一つ(唯一)の狙いであり、律(決まりごと)である。

『城』1398。

2013-09-18 06:01:00 | カフカ覚書
 Kは、両手をポケットにつっこみ、用心ぶかくあたりを見まわしながら、塀ぎわを通り、中庭の二辺を迂回して、橇のそばまで行った。

 手/Hand→Haft/拘留。
 二辺/zwei→zwang/強制、抑圧、拘束。
 壁/Mauer→Mar/作り事、噂。

☆拘留を欺くため、用心ぶかくあたりを見まわしながら、噂の抑圧を経て、太陽の暈/死の入口のほうへ行った。