続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

後期のプラン。

2013-09-24 07:02:33 | 日常
 年間の後期ではない、人生の後期のプランである。

 100歳以上の方が5万人を超える現代、もしかして、まさかとは思うけれど、わたしだって可能性がないとも限らない。
 とすると、66才のわたしにはまだ34年の歳月が残されていることになる。(重いなぁ)

 この三十余年を(もう終わりだ、もうダメだ)と悲観的に過ごすのはあまりに惨めでみすぼらしい。

 何かのイベントに参加するとき、(ちょっと年だから、最高齢かしら)なんて気分が退くことがある。たとえばアートテラーさんのツアーなんかも「あなたが来るとは思いませんでした」なんて思われないかという杞憂がある。ひょっと隣りを見るとみんな若い人ばかり(不味いな、なんでこんな所に紛れ込んじゃったんだ)一瞬のブルー。でもみんなお年寄りを大事にと思っているのか、気にしない風ではある。

 僻み・・・つい最近まで自分は年寄りでないと思っていたのに・・・♪今年六十のお爺さん、年はとっても~♪自覚し始めたわたし。


 忘れよう! まだ三十余年の空白が待っている(?)祭りはまだ先にある。
 
 白露や 死んでいく日も 帯しめて (三橋鷹女)

 遠くを見ながら今日の眩しい白さを踏んでいく!

 まだまだ? そう、まだまだ明るいプランで自分を解放していこう。

『ポラーノの広場』99。

2013-09-24 06:49:42 | 宮沢賢治
「数えてるさ、そんならぢいさんは知ってるかい。いまでもポラーノの広場はあるかい。」ファゼーロが訊きました。
「あるさ。あるにはあるけれどもお前らのたづねてゐるやうな、這ひつくばって花の数を数へて行くやうなそんなポラーノの広場はねえよ。」
「そんならどんなんがあるんだい。」
「もっといゝのがあるよ。」
「どんなんだい」


☆崇(気高く尊い)を致(招く)考えは、常に仁(博愛や同情の心)の善(道徳に適った行い)にある。
 赦(罪や罰を許す)を可(よいと認める)枢(かなめ)は、崇(気高く尊い)考えであり、講(話)の情(こころ)である。

『城』1404。

2013-09-24 06:40:02 | カフカ覚書
「こいつは、まだかかるかもしれねえ」と、すぐ近くでしわがれた声がしたので、Kはぎょっとした。目がさめたときのように、手足をのばして、大声で欠伸をした。

 (非常に)sehr→Seher/予言者。

☆「予言者は長く不変かもしれない」と、Kのすぐ近くで先祖の荒く烈しい声がしたのでぎょっとした。