続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

おばさん。

2013-09-30 07:00:49 | 日常
『おばさんになりたくない』という本を何気なく読んでいると、「無理をしても高価な物を身に着ける習慣、この緊張感が女を上げる」という風なことが書いてあり、「チープなものでごまかすのは止めよう」と呼びかけている。その上、トイレの掃除に明け暮れてばかりいないで、自分を磨けとの激論。

 安物ランクをキープして66才まで来たわたし、今さら・・・笑止。

 それにしても世間の女の人たちは心密かに「おばさんにはなりたくない」と思っているのだろうか。《おばさん=女を捨てる》の構図は、確かに暗黙のうちに存在している根強い意識かもしれない。(すでにおばさんの領域を通り過ごしつつあるわたしが言うのもおかしいけれど)

 おばさん・・・温かい感触の言葉である。それを断じて受け入れてはならない! と、武装してまで(きれいなお姉さん)に固執するなんて!
 そう思うのはすでに若い女を遠目で見ているものの発言なのだろうか。

 まあ、ゆるゆるで年をとってしまった者には言葉を挟む余地はないけれど、年相応のどこともぶつからない私流でいいのではないか、と思う。

 
 人はそれぞれの立場で考え方が異なるけれど、《おばさん》敵視の女磨きには相当熱いものを感じる。老いに抵抗し、年を重ねていくことへ最高の美意識をもって挑戦する、負けてはならない闘いのなのだという風に。


 そういう生活感を持っている人を羨ましいとも思う。
 かくいうわたしも、「おばさん」と、人生で初めて呼ばれた光景を今でもはっきり思い出すことが出来る。「お婆さん」と呼ばれた日も経験した。どちらも幼い子供の口から出た言葉であったことに秘かに安堵している。

 やっぱり、『おばさん』は、女にとって辛い、通らなければならない橋なのである。「わたしはいやだ!」と駄々をこねている美貌の女も、ムンクの『叫び』に重なる苦悩に喘いでいるだけなのかもしれない。

『ポラーノの広場』105。

2013-09-30 06:32:48 | 宮沢賢治
  「ゐのししむしゃのかぶとむし
   つきのあかりもつめくさの
   ともすあかりの眼に入らず
   めくらめっぽに飛んで来て
   山猫馬丁につきあたり
   あわててひょろひょろ
   落ちるをやっとふみとまり
   いそいでかぶとをしめなほし
   月のあかりもつめくさの
   ともすあかりも目に入らず
   飛んでもない方に飛んで行く。」


☆現われる新しい秘(奥深くて測り知れない)である雷(神なり)。
 太陽の耀(かがやき)が、場(空間)を超えることで絡/むすびつけ、合(一つにすること)を黙っている。
 新しい秘(人に見せないように隠す)の法(やり方)であり、比(並べている)講(はなし)である。

『城』1410。

2013-09-30 06:17:14 | カフカ覚書
 なんのことはない、Kにコニャックをとらせようという魂胆なのだ。Kは、むっとした。しかし、とにかくもう馭者と口をきいてしまった以上、橇のそばにいるところをクラムに不意打ちをくらわされてもままよとばかり、言われたとおりにしてやることにした。

 耳をすまして聞く/gehorchte→Gefahr/危険。
 橇/Schlitten→Schritt/処置、措置。

☆Kはそのような助言に不機嫌だった。しかし会堂番はすでに平穏になった先祖と共に耳を澄まして聞いた。氏族がびっくりするような措置は危険だと思った。