続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

十余年は瞬く間に。

2014-10-05 07:28:30 | 日常
 定年後、あるいは(離れて行く)子供を見送って《さあ、これから!やるぞ》というCMを共感して見ている。

 二人の子供が独立、両親をも見送り、肩の力が抜けたのは五十代少し過ぎたころ。
 何かないか、何かしよう!これからは自分のために。仕事があれば仕事を続けていたと思うけれど、脆弱な衰退産業に属していたばかりに仕事もなかった。

「新聞配達しているのよ、昼間は肉屋でコロッケを揚げているわ」とタフな一面を見せていたAさん、「離婚したのよ、怠け者の夫だったの。バイクの事故で肋骨二本折ったけど元気にしているわ」と笑っていた。机を並べていた同僚の逞しさに比して、わたしはそんな度胸もなく淡々と過ごす日々。
《収入なんて、無くてもいい》そう決めてからは、押入れの奥に捨てずにおいた絵の具を取り出し少しづつ噴飯物の絵を描くようになった。グループ展と無料の公募展に一年に一度を目標に素人然とした絵を恥ずかしげもなく出している。

(出すことを止めたら、来年はない。きっと、これっきりになる)ずっと続ける・・・細い糸。

 美術館へ足繁く通うような殊勝な気概もないけれど、イベントがらみで一年に三回程度は通い、賢治の志を少しでもと博物館にも・・・。

 すべて怠慢のせいで、遅々たる歩み。なのに植物観察会のメンバーに「あなたのこと十年も前から知っているわよ」と笑われ内心驚いてしまった。
(えっ、風に吹かれるような自由な暮らしになってから十年も過ぎたの?)
 
 そういえば「ロゴスドン」に小論文を投稿するようになってすでに十五年(年齢を52才と記したのをはっきり覚えている)

 そうだ、確かに、十余年は瞬く間にわたしの中で過ぎ去っていったのだ。
 
 後期高齢者の仲間入りをしてからも二年半、年月は残酷だろうか、否、自然に風になびくように生きていきたい。結果は問わない、自分はこの程度の人間なのだと受け入れて、このブログなども続けられる限りは続けていく。
《それでいい》と、他でもないわたしが言っているのだから。

『城』1757。

2014-10-05 06:52:00 | カフカ覚書
「定住しようという望み意外に、こんな荒れはてた土地におれを惹きつけるものは、いったい、なんだろう」それから、皿に、「しかし、きみもここにとどまりたいだろう。なんと言ったって、きみの生れ故郷だからね。ただ、きみには眩むがいなくなってしまう。そうなると、きみは、いろいろと捨鉢な考えを起すようになるだろう。」


☆こんな荒涼としたと土地におびき寄せるものはなんだろう。ここにいることを迫られてもいる。あなたにとって範囲外(囲みの外側)なのに。ただ、クラム(氏族)が罪過を犯したことで連れてこられ、あなたを絶望的な気持ちにしたのでしょう。」