続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

バードウオッチング。

2014-10-11 06:41:35 | 日常
 鳥に関し、<鳥はあちこちに生息し鳴いている>というボンヤリした感想しかないわたし。

「ああ、○○が鳴いているわ」なんて、さりげなく言うことが出来たらステキだなぁと思う。もちろんカラスやハトやトンビやウグイスなんて誰でも知っているような鳴き声ではなく、《おやっ》と相手の気持ちに軽い衝撃をあたえるような鳥の名前をスラリと言えたら!
 そういう下心から、バードウオッチングの講座を受講したけど、講師の熱意にまるで副えないでまったく無知なまま・・・。

 最初の受講では、沢山の鳥の鳴き声を録音したテープを聞かせてもらったりしたけど、鳴き声を記憶するというのはかなり難しい。そして鳥の特徴を描いた図式のようなものを配布してくれたので長いことそれを机の引き出しに入れて眺めていたけど、判ったのはシジュウカラの黒いネクタイくらいで、あとはやっぱり難しいというか、出会うことがないような気がして、そのうち諦めてしまった。すでに十年を遡る懐かしい思い出である。
 その後、何回か野外に出て鳥の声を聞く講座に参加させてもらったけど、今でもさっぱり・・・(感度が鈍いのかな)。


 にも拘らず、懲りないわたし、今回の講座にも受講を希望している。
(今度こそ、今度こそ・・・人に言えるほどに確信したいと願っている)野鳥とわたしの距離は一向に縮まらないけど、諦めたくないな。

 初めての野外講座(フィールドワーク)は、膝痛が出始め、ウオーキングの必要に迫られての参加。膝痛の改善のために外に出るようになった経由、十余年を経た昨今、急激な進行もなく何とか歩けているという相乗効果を思えば、先ずは《良し》と満足している。(こんな受講生でいいのかな?)

「書を捨て、街にでよう」と、気取ってみる。(いいかもしれない)

『ポラーノの広場』475。

2014-10-11 06:31:14 | 宮沢賢治
「だからぼくらはぼくらの手でこれからそれを拵へようでないか。」
「さうだ、あんな卑怯な、みっともないわざとじぶんをごまかすやうなそんなポラーノの広場でなく、そこへ夜行って歌へば、またそこで風を吸へばもう元気がついてあしたの仕事中からだいっぱい勢がよくて面白いやうなさういふポラーノの広場をぼくらはみんなでこさへよう。」


☆趣(考え)が存(ある)。
 秘(人に見せないように隠す)教えを構(組みたてる)帖(書きつけ)也。
 講(はなし)は化(形、性質を変えて別のものになる)で、普く究(つきつめていく)。
 現わし、記すものは、詞(ことば)であり字である。
 注(書き記し)整える、綿(細く長く続く)ことを吐く(言う)ことが講(はなし)の常である。

『城』1762。

2014-10-11 06:14:38 | カフカ覚書
なるほど、あつかましくて助平な若造度もだが、きみといちゃつこうとしたなんてことは、一度も気づかなかったね」
「ほんとうかしら。だって、橋屋のわたしたちの部屋からどうしても追いだすことができなかったし、わたしたちの関係を嫉妬ぶかく見張っていたり、昨晩もわらぶとんのわたしの寝る場所にもぐりこんだり、さっくだってあなたに不利なことを言いだしたりして、あなたを追いだし、破滅させて、わたしとだけいっしょになろうとしたじゃありませんか。なにひとつお気づきにならなかったの」


☆押しの強い欲求の新しさだけれど、彼ら(脳、知覚/精神)がきみに近づこうとしたことなんて全然気づかなかった。ほんとうに?
 認められないわ、わたしたちの題(テーマ)である橋屋(死の入り口の架け橋)から追いだすことなんてできないし、わたしたちの関係を病的な熱意で見張っていたり、近ごろも放浪者の場所に入ってきたり、今もあなたに対抗する発言をしたわ。あなたを追いだし破滅させ、わたし(平和)になろうとしたじゃありませんか。