続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

どこまでも続く道。

2014-10-25 06:12:04 | 日常
 生きて在る限り道は続いている。もうこれで終わりということはないのが人生かもしれない。

 度々商店街で見かけたAさんに近ごろは会うことが無くなったなぁと思った矢先、バスを降りたら彼女が目の前に。彼女の家はバス停の前、枯葉を掃いているところに出くわしたのである。
「最近はお孫さんの所へは行かないの?」
「孫は今うちにいるの。もう一年も・・・、出て行かないつもりかしら。ここにいると何かと便利なものだから」と苦笑い。
「それにね、娘は離婚したものだから・・・。『家を買うからお金貸して』って、『返してよ』って言っても返してくれないのよ。まぁ、貰った気でいるのね」と笑った。
「毎朝、孫を起すのが大変なの。起きると『今朝はハムサンドがいいなぁ』って言うと、わたしはコンビニに走るわけ。そうして学校に行く前に手を出して『おばあちゃん二千円』でしょ。お金がいくらあっても足りないわ」と、こぼした。

 Aさんは共働きで退職の際には、「二人の子供に一千万円づつ上げたわ」というくらい潤沢な家計。付き合いも多く贈答品等は山また山でそのために物置を作り収納。娘さんが結婚する時に「何でも好きなもの持っていって」と言ったら、「白で揃えるから一つも要らないわ」と断られ、その後はバザーに出したり、他人に差し上げたりと順次整理に追われたらしい。
 
 その彼女の声を某スーパーの開店セールで聞いたことがある。「あらっ、ここにあった百円のお醤油、もうないの!」(まさか)と思いながら振り返ったら正しく彼女。二十年くらい前だったかもしれない。


「今朝広告が入っていたでしょ、○○でナフタリンが安いから買いに行くつもりだったけど、やることが多く過ぎて・・・」というので、「バス代のほうが高く付くでしょ」と言ったら、「バスはあれ(高齢者用割引パス)があるから」と笑った。
 廉価に胸ときめく習性は変わっていないなと、クスリ。

「でも、もう八十四才でしょう。すぐ疲れるのよ。でもね、朝九時からと午後一時からの韓ドラは見逃さないようにしているの」
 バス停の前での立ち話、こちらも荷物が重く次第に疲れてきた辺りで、
「じゃあね」
「またね」
「お互い元気でいましょうね」

 彼女の奮闘はまだまだ続くようだけど、忙しいのが元気の素かもしれない。(生きている限り、元気でいるのが一番の幸福)
 わたしも気を引き締め、貧乏オーラ百パーセントで元気に行こうっと!

『ポラーノの広場』489。

2014-10-25 06:02:59 | 宮沢賢治
そこにはいつものはんのきが風にもまれるたびに青くひかっていました。わたくしどもの影はアセチレンの灯に黒く長くみだれる草の波のなかに落ちてまるでわたくしどもは一人づつ巨きな川を行く汽船のやうな気がしました。


☆普く照(あまねく光があたる=平等)、永(とこしえ)の等(平等)を告げる。
 帖(書きつけ)は双(二つ)を把(にぎっている)。
 絡(むすびつけるもの)が逸(かくれている)図りごとである。
 拠(拠り所)が千
(たくさん)ある講(はなし)を記している。
 遷(うつりかわる)の記である。

『城』1776。

2014-10-25 05:49:07 | カフカ覚書
「クラムから派遣された人間だって」Kは、おうむがえしに言った。Kにすれば、この呼称をすぐに当たりまえのことだと思ったが、それでもひどくおどろいたのである。
「間違いなく、クラムから派遣されて来たのですわ」と、フリーダは言った。「よしんばそうだとしても、一方ではやはりろくでなしの青二才であることも事実です。あれを教育するには、まだ「折檻してやることが必要ですわ。


☆クラム(氏族)からの使いだって」と、Kは言い、Kにすればこの罪を着せるのも当然だったと思ったが、それでも予言者の不意打ちではないかと、フリーダは言った。仮にクラム(氏族)からの使いであってもやっぱり同時代の新しいものの愚かさであり、やはり罰が必要です。