続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

予期せぬ(毎年の)仕事?

2014-10-13 06:55:11 | 日常
 突然忙しくなる理由、即ちわたしのお仕事。
 初秋の頃なら、大根のおろぬき菜、大袋でドサッと置いていく。その途端頭の中は『天国と地獄』の音楽が鳴り響く。
 先ず根を切り落とし、大きなプラスチック桶で洗う。もう一度洗って、塩漬けにする。一晩置いて再び洗って灰汁を抜き、塩の加減を調整し、今度は冷蔵庫に納まる器に入れていく。(青菜に塩とはよく言ったもの、極端なほど収まりがよくなる)
 それでも、隣家でもらったものと、三浦の義姉のものとで我家には消費をはるかに超える量、だから毎年(実のところ)ため息をついている。

 そして昨日、浦賀の義兄がスーパーの袋にイワシを大量にもって来てくれた。(どうするの、これ?)
 とにかく何とかしなくてはならない、『天国と地獄』がわたしの中で鳴り響く。先ずキッチンバサミで頭と尾を落とし、内臓を取り出す。この作業を延々。
(イワシは鱗が少ないと思っていたら、何のなんの、それこそ大量の銀の山。排水口が詰まるので、何度も手で掬い上げた)
 手開きで骨と皮を落として終了。お皿に山盛りのイワシ・・・。ここまでの作業以上に食べきることの困難、ため息をついている。

 畑で収穫する人も海で漁をする人たちも、おろぬき菜や売り物にならない小魚をもったいなくて処分できないので近隣に配る。配られた近隣の人も食べきれないから縁者知合いに配るので、毎年決まった時期になると、末端(?)のこちらも忙しいお仕事に追われるというわけである。

 こちらにとっては突然のこと、けれど生ものゆえ、その作業を優先させる。
 昔は本業の仕事もあって錯乱状態でこの作業(仕事)をこなし、無職の今は食べきれない量にため息をつきながらこの作業をこなしている。

 食べ物を粗末にしてはいけない・・・この教えがわたしを駆り立てている。

『城』1764。

2014-10-13 06:35:49 | カフカ覚書
フリーダはけしからんことだと言うけれど、彼らはいつだってKとどこへでもいっしょに行こうとし、フリーダのそばに残ろうとはしなかったことも明白な事実ではないか。Kは、そういった意味のことを述べた。


☆フリーダ(平和)は、罪を負ったことに対してではないと言うけれど、彼らは常にKと共にいたる所どこへでも行こうとし、フリーダ(平和)の側に残ろうとしなかったことなど、この種のことを言った。