続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

姿勢正しく。

2014-10-29 06:42:22 | 日常
 足は弱り、腰も痛いし、眼も悪い。だから、歩く姿勢もどこか頼り無げでバランスが崩れかけている。胸も折りたたむように前のめりになり思考能力もマイナーに陥りがち。

「大丈夫ですか?」背後から声を掛けられそうな老いの姿に近づきつつある。自然の成り行きと割り切ってしまえば何のことはないけれど、《まだまだ》の未練があって・・・いえ、見栄かもしれない。(してみると、見栄を張るって大事?)

 
 肉体の劣化に精神までも追従することはない。
 心だけは、惨敗・傷だらけの人生であっても折れることなく真直ぐに前を向いて歩く。当たり前のことを当たり前に受け止め、逆らわず、「正しいことだけを考えろ」というカフカの言葉を胸に刻んでいる。
 いつの時も姿勢正しく生きていきたい。すでに自分の条件は出揃っている、その中で生きるべきデザイン設計を思案する。

 著しい忘却力により、約束を忘れ、持物を忘れ、何をしようかまでを忘れかねない昨今、《それでも》の気概だけは失いたくない。人は劣化し、老いるもの・・・波のようにわたし自身の領域を侵食していく負の条件。

《だからこそ》
 姿勢正しく、残された空間を華ある設計にプランしたいと願う。

『ポラーノの広場』493。

2014-10-29 06:34:01 | 宮沢賢治
私はそれからも何べんも遊びに行ったり相談のあるたびに友だちにきいたりしてそれから三年の後にはたうとうファゼーロたちは立派な一つの産業組合をつくり、ハムと皮類と酢酸とオートミルはモリーオの市はもちろん広くどこへも出るやうになりました。


☆詞(言葉)の化(形、性質を変えて別のものになる)で幽(死者の世界)の考えを総(まとめる)談(話し)である。
 幽(死者の世界)の太陽への念(思い)は語(ことば)で留め把(つかんでいる)。
 逸(隠れた)太陽を仰ぎ、蘇(よみがえる)劫(極めて長い時間)には秘(奥深くてはかり知れない)が累(次々重なる)。
 朔(太陽と月が同一方向にある/黒い穴)の太陽で、詞(言葉)による死の講(話し)を推しはかる。

『城』1780。

2014-10-29 06:27:04 | カフカ覚書
それに、猫のことにしたって、猫がわたしをおどろかしたのではありません。ええ、猫ぐらい慣れっこのことだし、酒場で働いていたころは、落ち着かない気持でうとうと居眠りをして、たえず眠りを妨げられるような経験もしていますわ。そうよ、猫がわたしをおどろかすんじゃなくて、自分で自分をはっとおどろかしてしまうんです。


☆それに排他的社会のことだって、排他的社会がわたしを驚かせるのではありません。ええ、排他的社会くらい慣れっこのことで、たえず潜在している不安を経験もしています。排他的社会がわたしを驚かせるのではなく、自分自身に驚かされているのです。