続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『カンガルー日和』

2014-10-10 06:47:53 | 村上春樹
『カンガルー日和』さりげないほどの短編である。
 新聞の地方版で知ったカンガルーの赤ん坊の誕生。それを見に行くのに、諸事情から延び延びになり一ヵ月後にやっとその前に立ったが、すでに「もう赤ん坊じゃないのよ」と彼女は繰り返し言った。
「あの袋の中に赤ん坊が入るって素敵だと思わない?」「そうだね」

 僕と彼女に交わされる会話・・・柵の中の四匹のカンガルー、父親のカンガルーは才能が枯れ尽きてしまったような顔つきで餌箱の中の緑を葉をじっと眺めている。
 
「ほら、見て、袋の中に入ったわよ」

 母親カンガルーと赤ん坊カンガルーは一帯となって時の流れに体を休め、ミステリアスな雌カンガルーは尻尾の具合を試すように柵の中で跳躍をくりかえしていた。


 僕と彼女の休日、デートのスケッチである。その中で、彼女は母親カンガルーの母性を観察し、僕は父親カンガルーの餌箱の中に失われた音符を捜し求める茫漠とした根拠のない不安を見ている。一つの柵に中にある奇妙な亀裂・・・。

「ねえ、どこかでビールでも飲まない?」と彼女が言い、「いいね」と答える僕の間に隙間はない。(これまで女の子と議論して勝ったことなんて一度もないのだ)


 カンガルーの赤ん坊を見に行きたいと言う彼女の希望に付き合う僕の平凡な日常の風景。
 会話の中の微妙なすれ違いは、僕の彼女に対する肯定(譲歩)で、綻びなど生じるべくもない。《ミステリアスな彼女を愛している》静かなる肯定である。

「ポラーノの広場」474。

2014-10-10 06:37:11 | 宮沢賢治
「さうだ、ぼくらはみんなで一生けん命ポラーノの広場をさがしたんだ。けれどもやっとのことでそれをさがすとそれは選挙につかふ酒盛りだった。けれどもむかしのほうたうのポラーノの広場はまだどこかにあるやうな気がしてぼくは仕方ない」


☆照(普く光があたる=平等)の冥(死後の世界)を考える帖(書きつけ)である。
 千(たくさん)の衆(人々)の状(ありさま)の講(はなし)を帖(書き付け)記している、詞(ことば)という法(やり方)で。

『城』1761。

2014-10-10 06:21:45 | カフカ覚書
「へえ、助手どもだって!」と、Kは、眼をまるくした。
「やつらは、きみをつけまわすのかね」
「お気づきじゃなかったの」
「そいつは、知らなかったな」と、Kは言って、こまごまとしたことを思いだそうとしたが、どうしても思いだせなかった。


☆「へえ、助手ども(脳、知覚/精神)だって」と、驚いてKは言い、「彼らはきみを追うのかね」
「それを知らなかったの」と、フリーダ(平和)はたずねた。「ああ」と、Kは言い、いろいろ思い出そうとしたが、どうしてもダメだった。