続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

逃げる。

2014-10-19 07:06:00 | 日常
 もう寝ようかというような一日の終わりになると、どうしても虚無感が頼りなく身の回りに沈滞しているのを感じる。
 無為な一日、自分は何をしただろうかという悔い。一日をあれこれ思い出してみる・・・起床、簡単な掃除、パソコン、朝食、洗濯、布団干し、本を読み、商店街への買出し、そして昼食・・・TVを見ながら縫い物、アクセサリーの試作、Mさんに電話をしなければと何回も思い立つのに病院へ足踏みしている件が引っかかって止めてしまう。

 そう、今の一番の気がかりは最近になって気付いた(しこり)、触ると明らかにぐりっとする。ここ一ヶ月、いえ二ヶ月くらい前からの気がかり・・・(今夏より先、身体の不調が著しい)
 ・・・明日にでも外科の医師に診てもらわなくてはと考えている。そう思案している内にも刻々と日々は過ぎて行く。

 怖いし、面倒である。

 コンスタントな日常の刻みが崩壊していく。目の前の現実から逃げている。もう少し、もう少し・・・そうして手遅れになったら(どうしよう!)
 しこりは触れば痛いけれど、通常なんでもない。だからと言って放置すべきでないことは十分承知している。

 いろいろな重荷から逃げてばかりのわたし・・・でも、わたし自身からは逃げられない。(どうせそのうち死ぬのだから)などとも言っていられない。

 昨日のわたしは今日のわたしではない。信じがたいほどの急速な劣化、この現象と向き合うことが今の最大の課題かもしれない。
 逃げて済めば問題はないけれど、逃げることが死に直結するのではないかという不安。
 楽観的、呑気なわたしの心配事項・・・早目にクリアーがいいかもしれない。

『ポラーノの広場』483。

2014-10-19 06:58:07 | 宮沢賢治
「ファゼーロ、今夜一ばんコップを洗ってゐるのかい。」
 酢酸をつくってゐたさっきの年老った人が云ひました。みんなはまたどっと笑ひました。


☆金(尊い)也。
 逸(隠れている)千(たくさん)の策(企て)を算(はかる)念(考え)である。
 弄(おもいのままにする)図りごとを運(めぐらせる)章(文章)である。

『城』1770。

2014-10-19 06:29:05 | カフカ覚書
そら、いまも、<可哀想に!可哀想に!)とくりかえしていたね。それから、先刻の出来ごとだよ。あのとき、きみは、助手どもを教師の鞭から救ってやるために、ぼくを平気で犠牲にしてしまったね」


☆そら、いまも<かわいそうに!かわいそうに!>と繰り返していた。それからこの前の事件だよ。あのとき、きみは助手ども(脳、知覚)を教師(空無)の殴打(放電線)から救ってやるためにわたしを犠牲にしてしまったね」