続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈) 橡の花。

2021-01-06 06:59:22 | 飯島晴子

   橡の花きつと最後の夕日さす

 橡の花、クヌギ、トチノキ、ブナ科、コナラ属・・・みんな最後は《どんぐり》になる。
 貴賤なく、みんな似たり寄ったりの酷似。すなわち《平等》である。最期にはきっと、夕日に現れるという釈迦三尊のお姿があるに違いない。

 橡の花はショウ・カと読んで、償、過。
 最後はサイ・カと読んで、済、幸。
 夕日さす(夕日射)はユウ・ヒ・シャと読んで、宥、否、謝。
☆償うべき過(あやまち)は済(救い)の幸(めぐみ)で宥(大目に見てもらう)。
 否、謝(あやまらねばならない)。

 橡の花はショウ・カと読んで、粧、華。
 最後はサイ・コウと読んで、祭、紅。
 夕日さす(夕日射)はユウ・ヒ・サと読んで、木綿、被、瑳。
☆粧(身づくろいをし)華(はなやか)である。
 祭りの紅に木綿の被(法被)は瑳(あざやか)である。


『飯島晴子』(私的解釈) 軽き咳して。

2021-01-06 06:38:55 | 飯島晴子

     軽き咳して夏葱の刻を過ぐ

 風邪ぎみだと思ったら、すでに秋の気配がしている。軽き咳(風邪)には葱、(過ぐ)には時間、想起されるイメージとの融合。

 軽き咳はケイ・ガイと読んで、景、害。
 夏葱はカ・ソウと読んで、禍、総。
 刻を過ぐはコク・カと読んで。酷、苛。
☆景(景色)を害(損なう)禍(災難)は、総て酷であり苛(むごい)。

 軽き咳はケイ・ガイと読んで、計、我意。
 夏葱はカ・ソウと読んで、加、双。
 刻を過ぐはコク・カと読んで、告、果。
☆計(はかりごと)の我意には、加わる双(二つ)を告げる果(結果)がある。


R.M『光の帝国』②

2021-01-06 06:15:21 | 美術ノート

 光の帝国と言いながら、この暗さは夜である。天空の青空との差異は何だろう。
 帝国、皇帝(支配者)のもとの国家であれば、個人の自由な発想や行動には限度があり拘束は免れないという暗黙の律がある。
 左端にある塔のような建屋は何だろう、そんなに高くなく、至近であり、頑丈そうに見える。おそらく《監視》ではないかと思う。少なくとも林(樹々)よりは高く見通せる配置である。
 家々には疲弊しているかのひび割れが見え、明かりは照らすというより仄かに灯っているという感じである。そして道は右に向かって坂道になっている、すなわち緩い降下は衰退を暗示している。ここに画家が隠ぺいした意思、帝国への告発があるような気がする。

『光の帝国』は輝く王政をイメージさせるが、その内実を秘かに暴露した心情吐露ではないか。気のせいか、青空に浮かぶ雲の配列さえどこか規則ある順列に見える。まさかの天をも支配する勢いの片鱗を揶揄して描いたのかもしれない。あくまで否定ではなく肯定であり、ため息である。


 写真は『マグリット』展・図録より


『城』3566。

2021-01-06 05:57:29 | カフカ覚書

と言いますのは、一日もあれば、あなたも、彼女に愛想をつかしてしまい、彼女が自分が美人で貞淑であると吹聴したり、とくにクラムの愛をひけらかしたりして、ありとあらゆる手管でどんなに卑劣にあなたをだましていたかがおわかりになるからです。


☆あと一日多くあったら、Kでなくとも、あきあきしてしまうでしょう。彼女は見た目美人で誠実であり、いかにもひどく欺き、表面的にはクラムに愛情があるように見せかけたのです。