続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈) 村に父。

2021-01-10 06:38:40 | 飯島晴子

   村に父秋の畳の浮きあがる

 村という任意の場所(景色)から父という確定された人物への移行。
 秋の低い日差しは父のいる畳にまでかかり、一瞬浮きあがって見えた。病んで伏せる父をふわりと持ちあげたかのように…。

 村に父はソン・フと読んで、損、負。
 秋の畳はシュウ・ジョウと読んで、讐、常。
 浮きあがる(浮上)はフ・ジョウと読んで、普、醸。
☆損(そこなう)負けに讐(仕返しをする)と、常に附(付き従う)傷(悲しみ)がある。

 村に父はソン・フと読んで、存、二。
 秋の畳はシュウ・ジョウと読んで、終、常。
 浮きあがる(浮上)はフ・ジョウと読んで、付、状。
☆存(考え)は二つ、終(結末)には常に付(任せる)状(ありさま)がある。


『飯島晴子』(私的解釈) 死時の。

2021-01-10 06:22:40 | 飯島晴子

   死時の吊舟草の高さかな

 死時(臨終)に霊魂を運ぶ舟は天上へ行くのだろうか、それとも地下深く沈み込むのだろうか。その高さは定かではない。

 死時のはシ・ジと読んで、視、字。
 吊舟草はチョウ・セン・ソウと読んで、兆、詮、双。
 高さかなはコウと読んで、講。
☆視(よく見ると)字には兆しがある。詮(明らかにする)と、双(二つ)の講(話)になる。

 死時のはシ・ジと読んで、私、二。
 吊舟草はチョウ・セン・ソウと読んで、重、宣、総。
 高さかなはコウと読んで、交。
☆私(秘かに)二つを重ねている、と宣(はっきり言う)。
 総てに交じっている。