続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)帰らむか。

2021-01-22 07:29:33 | 飯島晴子

   帰らむか三角に雪つく竹の節

 今日はもう帰ろうか。雪が滑りやすいとされる三角屋根にさえ雪が積もっている。竹の節にみるような成長著しい急な豪雪だもの。

 帰らむかはキと読んで、記。
 三角はサン・カクと読んで、三、書く。
 雪つく(雪付)はセツ・フと読んで、説、二。
 竹の節はチク・セツと読んで、築、設。
☆記は三つを書く説(話)である。
 二つは築いて設(こしらえる)。

 帰らむかはキと読んで、鬼。
 三角はサン・カクと読んで、惨、嚇。
 雪つく(雪付)はセツ・フと読んで、切、怖。
 竹の節はチク・セツと読んで、逐、殺。
☆鬼を惨(痛ましく思う)。
 嚇(脅かすので)切(すべて)に怖い。
 逐(追い払い)殺す。


『飯島晴子』(私的解釈)冬萌に。

2021-01-22 07:10:59 | 飯島晴子

   冬萌に薄き径ある怒りかな

 底冷えのする冬景色、しかし木の芽、草の芽は兆している。新しいこれらの芽(才能)を軽んずる狭い径(社会)に憤りを覚える。

 冬萌はトウ・ホウと読んで、答、包。
 薄き径ある怒り(薄径有怒)はハク・ケイ・ユウ・ドと読んで、薄、系、有、努。
☆答えを包む薄い系(つながり)が有る。
 努(力を尽くすこと)である。

 冬萌はトウ・ホウと読んで、盗、呆。
 薄き径ある怒り(薄径有怒)は、ハク・ケイ・ユウ・ドと読んで、白、刑、宥、度。
☆盗むのは呆(愚か)であると、白(申し上げる)。
 刑(罪をただして罰すること)で、宥(許す)度(決まり)である。


R.M『赤いモデル』②

2021-01-22 06:45:13 | 美術ノート

 生の足先に革靴がつながっている。足が靴であり、靴が足である。身を護る術がない、身体が即ち生きる術の総てであり、無産階級を示している。一つの汚れもないのは潔白、従順を暗示しているのだろうか。美しい足にも労働を、という平等の画一化の指令かも知れない。

『赤いモデル』、赤は共産主義以外の何を連想できるのか。共産主義における見本、仮説の論である。石壁は他の社会との閉鎖、隔絶であり、社会体制の確立は他から何ら指図、影響を受けるものでないという強固な姿勢かも知れない。

 マグリットは、この図を否定も肯定もしていない。時代の中の一つの現象としているのだろうか。
 足と靴の一体化、新しい靴は与えられている。しかし、身体の上部が欠けている。肝心の精神や脳の機能が見えない。足と靴の一体化、これは道具にすぎない。
 人は足を有した労働力であり、国はその有無不言の統制力で繁栄し、人々に供給をもたらすということだろうか。幸福の形は難しい…。


 写真は『マグリット』展・図録より


『城』3577。

2021-01-22 06:36:55 | カフカ覚書

しかし、そのまえにあなたにすべてのことを洗いざらいお話せずにはおれなかったのです。それは、助けてあげなくてはいまでもまだこれらのことをわかっていらっしゃらないあなたに、わたしがあなたからどんなにひどい仕打ちをされ、どんなに不幸な目に会わされたかを一度はっきりと知っていただくためです。もちろん、そのあなたも、結局は悪用されたにすぎないのですが。


☆さしあたりすべてをKに話すべきだと思ったのです。助力なしでも、今はまだ分かっていないあなたにはっきり知らせることは嫌な論議であり、いかに不運な目に会ったか、先祖の傷痕をはっきり知るべきですが、ただ単に悪用されたのすぎないかもしれません。