続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)針のめど。

2021-01-19 07:06:12 | 飯島晴子

   針のめど枯山の音聞き尽し

 針穴から天井を覗くという例えがある。針のめど(針孔)から葉も落ち切った静かな枯山の静謐を聞き尽す。枯山を歩いた過去の私的経験(針孔)から枯山全体の微かな音をも聞き逃さないという広く大きな感覚の享受である。

 針のめど(針針孔)はシン・シン・コウと読んで、侵、慎、考。
 枯山の音はコ・サン・オンと読んで、故、酸・隠。
 聞き尽しはモン・ジンと読んで、問、尋。
☆侵(他人の領分に入りこむこと)を慎(つつしむ)考えである。
 故に酸(辛くても)隠(世間から離れ)、問(といただし)尋(たずねている)。

 針のめど(針針孔)はシン・シン・コウと読んで、真、芯、考。
 枯山の音はコ・サン・インと読んで、顧、三、隠。
 聞き尽しはブン・ジンと読んで、文、腎。
☆真の芯(物の中心)を考え、顧(省みて気に掛けると)三つある。
 隠れている文が腎(かなめ)である。

 


 


R.M『宝石』②

2021-01-19 06:34:57 | 美術ノート

 開閉が可能に見える箱の上に男(人間)と鳥の頭部が乗っている。あくまで一部分に過ぎないそれを男と鳥だと認識し、一部分を見ただけで全体像を想像出来るのは、すでにそのものを知っているからである。
 首から下が欠けていることを不審に思いつつも、異常だとまで疑惑を持たない。切断された頭部は《死》である。しかし、目を見開いているせいで《生》を何となく受け入れてしまうという曖昧な判断にゆだねる傾向が疑惑を払拭する。

 この画を見て残忍さや恐怖を抱かないのは、両者が目を見開いているせいである。そして、もしこの二つの頭部が地面の上であれば異なる感慨を抱いたと思う。
 表情と設置空間における奇妙なトリックによって、この状況を肯定してしまう。しかも『宝石』というタイトルであることによって、謎めく答えを探そうとする意識が働く。

 全くの不条理を正当性へと誘い込む《言葉》という媒体。しかし、つなぐべき関連、関係性が皆無であることに気づく。
『宝石』は存在しない。存在しないが、めくるめく知の巡回を促す作用をもって『宝石』としたのではないか。
 人間は考える葦であると。


 写真は『マグリット』展・図録より


『城』3574。

2021-01-19 06:27:34 | カフカ覚書

下の女中部屋の仕切りベットは、わたしを迎える用意をしています。わたしは、そこへ行きます。元のお仲間たちが、涙ながらに迎えてくれるでしょう、わたしは、服をぬぎ、髪にとめたリボンをはずし、なにもかも片隅にしまいこむでしょう。


☆下の茶番(愚行)は作り話で、わたしを迎える準備をしています。泣きながら友人たちは歓迎してくれるでしょう。