続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)鴉多き。

2021-01-21 07:19:08 | 飯島晴子

   鴉多き谷なり雪で手を洗ふ

 鴉、玄人・・・俳句を専門にやっている人たちの多い、谷(山と山との間の狭いくぼ地)、狭い世界であれば、わたくしは雪で手を洗いましょう。雪(セツと読んで、截/たち切り)、手(やり方)を、洗(センと読んで、鮮/新しく)します、という宣言。

 鴉多きはア・ダと読んで、吾、駄。
 谷なり雪ではコク・セツと読んで、告、説。
 手を洗ふはシュ・センと読んで、殊、旋。
☆吾(わたくしの作品)は駄(値打ちがない)と告げる。
 説(話)は殊(特別)に旋(巡らせているのだから)。

 鴉多きはア・タと読んで、阿、多。
 谷なり雪ではコク・セツと読んで、哭、截。
 手を洗ふはシュ・センと読んで、衆、戦。
☆阿(へつらい)の多いことを哭(悲しむ)。
 截(断ち切る)衆(大勢の人)に戦(慄いている)。


R.M『赤いモデル』

2021-01-21 07:03:49 | 美術ノート

   『赤いモデル』

 赤といえば、共産主義を指しているのだろうか。
 土の上の素足が革靴へと変移している。バックは石の塀、即ち遮断である。
 きれいな指先は、石ころのある土の上には不似合いである。受け入れがたい労働の強制。どんな分野の人も一様に労働するという平等は理想ではある。しかし、ここには大きな矛盾があり、混迷と悲痛な叫びとが隠ぺいされているのではないか。

 石の塀に囲まれた社会、広い世界への展望は制限され、究極、ここしか見えない世界に拘束される不自由。

『赤いモデル』は複雑な共産社会の構造を単純化してみせた仮説である、と思う。


 写真は『マグリット』展・図録より