続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)未黒野に。

2021-01-26 07:24:41 | 飯島晴子

   未黒野に雨くる早さの剛い髪

 未黒野(焼畑/早春)に、雨(ウ→烏カラス)がもう来ている。剛(強くて)髪(ハツ→潑/元気がよいこと)である。

 未黒野はバツ・コク・ヤと読んで、抜、古句、也。
 雨くる早さ(雨来早)はウ・ライ・ソウと読んで、迂、頼、双。
 剛い髪はゴウ・ハツと読んで、合、撥。
☆抜(選び出す)古句也。
 迂(遠回り)に頼り、双(二つ)を撥(調整する)。

 未黒野はバツ・コク・ヤと読んで、閥、放、爺。
 雨くる早さ(雨来早)はウ・ライ・ソウと読んで、芋、礼、贈。
 剛い髪はゴウ・ハツと読んで、傲、潑。
☆閥(家柄)を放(言う)爺に芋を礼に贈った。
 傲(偉そうに)潑(収めた/はねのけた)。


『飯島晴子』(私的解釈)石臼の。

2021-01-26 07:06:28 | 飯島晴子

   石臼の刻み目未黒の水さそふ

 石臼の刻み目はザっと洗ったくらいでは汚れが残る。未だ黒いから更に洗浄する必要がある。

 石臼はセキ・キュウと読んで、昔、究。
 刻み目はコク・ボクと読んで、告、牧。
 未黒はバツ・コクと読んで、抜、古句。
 水さそふ(水誘)はスイ・ユウと読んで、粋、宥。
☆昔を究(つきつめる)と、告げる。
 牧(導く/修養)は抜(抜きんでている)。
 古句には粋が有る。

 石臼はシャク・キュウと読んで、癪、窮。
 刻み目はコク・ボクと読んで、刻、僕。
 未黒はバツ・コクと読んで、跋、告。
 水さそふ(水誘)はスイ・ユウと読んで、衰、融。
☆癪(腹が立ち)窮(行き詰まって身動きできない)刻(時)、僕(わたくし)は跋(歩き回る)と、告げる。
 衰(勢いがなくなり)融(心が和んでくる)。


『飯島晴子』(私的解釈)桃の闇。

2021-01-26 06:50:45 | 飯島晴子

   桃の闇地蔵の衣紋流れけり

 桃の闇・・・桃(百)の闇(思慮・希望などがない心の状態)、お地蔵様の衣(恵み)により紋(悶(苦しみ、悩み)が流れていった。

 桃の闇はトウ・アンと読んで、謄、諳。
 地蔵はチ・ゾウと読んで、質、増。
 衣紋はイ・モンと読んで、意、聞。
 流れたりはリュウと読んで、立。
☆謄(書き写し)諳(そらんじると)、質(内容)が増える。
 意(思い)を聞く立(論/筋道をただした話)がある。

 桃の闇はツウ・アンと読んで、套、案。
 地蔵はジ・ゾウと読んで、二、造。
 衣紋はイ・モンと読んで、異、文。
 流れたりはリュウと読んで、留。
☆套うことを案(考え)、二つを造る。
 異(別)の文が留まっている。


R.M『説明』

2021-01-26 06:21:26 | 美術ノート

   『説明』

 前述の作品との相違は、背景に連山が見えることと、人参が多少劣化していることである。つまり、ここには時間がある。無空、久遠というのではなく、物理的な時間がこの絵の中に起動していることを認めないわけにはいかない。

 時間とは何か、人参の劣化、腐植から空へ帰していく時間。ガラス瓶の方は酸化現象は起こらず、高熱や激震がない限り形の変化は悠久の時間を要するかもしれない。
 ガラス瓶と人参の持つ時間の対比、背景の自然(連山)においてもすべては時間の中に存在するという宿命があり、その関係性は物体の持つ性質によって大きな差異が生じる。
 不穏な空、風雨、嵐、雷の予感を孕んでいる。
 形を変えるものは《時間》ばかりではなく、《空間》の事情にも左右される。

 総ての物体は現象であり時間と空間の中に、ガラス瓶でさえ呑み込まれていくに違いない。
 しかし、その自然現象の中においても、ガラス瓶(無機質)に人参(有機質)が合成化合されることが断じてあり得ない。

 自然現象を歪め圧する奇体(企み)が(画という二次元)には現出可能であることの証明である。画の可能性、実験、説明である。


 写真は『マグリット』展・図録より


『城』3579。

2021-01-26 06:08:48 | カフカ覚書

そのためにだれの助けも慰めも要りません。ましてあなたの助けや慰めは要りません。わたしは、この若さですでに人生というものを知っています。わたしの不幸は、人生についてのわたしの知識を裏書きしただけのことです。しかし、問題は、あなたにあるのです。わたしは、あなたのありのままの姿を見せてあげようとおもったのです。わたしの希望がことごとく挫折してしまったいまでも、これだけはしておかなくてはならないと考えたのです、と。


☆そもそも誰かある人の慰めなどの救済など必要でないと、彼女は言った。この若さで人生を知り、不運を認めることも分かっていたのです。でも、問題はKにあり、以前のままの姿を望み、希望がことごとく砕かれた今も必要だと思うのです。