続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)雛の衿。

2021-01-18 07:03:17 | 飯島晴子

   雛の衿重ねて川の遠景色

 雛(形代)に衿(心の中)を重ねて川に流し、遠ざかるのを見送ったという「雛流し」(神事)の景である。

 雛の衿はスウ・キンと読んで、枢、金。
 重ねて川のはジュウ・センと読んで、自由、擅。
 遠景色はエン・ケイ・ショクと読んで、掩、警、私欲。
☆枢(かなめ)の金は自由に擅(独り占めにし)掩(隠している)。
 警(戒めるべき)私欲である。

 雛の衿はスウ・キンと読んで、数、襟。
 重ねて川のはチョウ・センと読んで、帳、千。
 遠景色はオン・ケイ・シキと読んで、後、系、私記。
☆数(図りごと)は襟(心の中)にあり、帳(ノート)に千(沢山)の音の系(つながり)の私記がある。


R.M『宝石』

2021-01-18 06:37:32 | 美術ノート

   『宝石』

 宝石、輝石、硬く美しく耐久性がある非金属の鉱物。
 作品は男の頭部と鳥の頭部が等しく箱の上に鎮座しているが、身動きできない状態であるから、双方、攻撃あるいは昵懇という関係ではない。至近距離に並置されたこの二つは何を意味しているのだろう。
 箱の内部に二者の身体が隠されていることを暗示しているのだろうか。二つは単にオブジェとしてイメージ化されたものなのか。箱には取っ手があり、開閉の可能がある、つまり単なる板の上ではないということである。蓋を開ければ当然この二物は倒壊を余儀なくされるだろう。二物の対峙ではなく、箱を交えた三物の関係性を問うものかも知れない。背景は時代を問わないグレーのベタになっている。

 男(人間)の頭脳と鳥の頭脳に差はあるか。
 箱の内部の秘密は二物に影響を与える物なのか。
 この関係性は動かないが、思考することで動き、また崩壊する。考えることで緊張感が生じてしまう。存在の根源的な問いである。

 存在するが、非存在を求める。
『宝石』とは、非存在を探求し露わにしてみせる奇跡、在るがままの状態に探りを入れ、その関係を問い明らかにする叡智のことではないか。
《ある》が《なく》、無いが在るものである。


 写真は『マグリット』展・図録より


『城』3573。

2021-01-18 06:24:24 | カフカ覚書

わたしたちは、いまもう夕方だというのに、こんな話にうつつを抜かしています。まもなくフリーダがあらわれて、職務の引継ぎを勝利の喜びにすることでしょうが、わたしは、それまで待っているつもりはありません。金庫はもうお内儀さんに渡してあります。わたしは、ここを出ていっていいわけです。


☆わたし達は現在、終末(本当の死の直前)にいます。ペーピはフリーダが来るまでに力を勝ち取るでしょうが、それまで待たないでしょう。お内儀さんに金庫を手渡せば、ここを出て行くことができるのですから。