続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)春蘭の。

2021-01-23 06:55:58 | 飯島晴子

   春蘭の斑や声ふかくしまひおく

 春蘭にはジジババの呼び名がある。
《年ふればよはいは老いぬしかはあれど花をし見ればもの思ひもなし》古今集より
 年月が経ったので私はすっかり年老いてしまったそうではあるけれど、この桜の花(わが娘である染殿后)を見ていると何も思い煩うことがない気持ちになる。
 この歌を踏まえて、(いろいろな事があるけれど、胸の中にそっと納めておきましょう)という意。

 春蘭はシュン・ランと読んで、瞬、爛。
 斑や声ふかく(斑声深)はフ・セイ・シンはと読んで、怖、凄、震。
 しまひおく(仕舞置)はシ・ブ・チと読んで、死、無、質。
☆瞬(またたく間)に爛(腐って形が崩れる)怖さに凄まじく震える。
 死んで無くなる質(中身)がある。

 春蘭はシュン・ランと読んで、悛、覧。
 斑や声ふかく(斑声深)は、フ・ショウ・シンと読んで、普、成、新。
 しまひおく(仕舞置)はシ・ブ・チと読んで、旨、舞、知。
☆悛(秀でた者)は覧(見ていて)普く称える。
 成(出来上がり)の新しい旨(考え)を舞(励ます)知がある。


『飯島晴子』(私的解釈)雛まつり。

2021-01-23 06:37:21 | 飯島晴子

   雛まつり杉の迅さのくらやみ川

 雛まつり、時の経つのは早い。どこへ流れていくのか先の見通しや希望の持てない昨今である。雛まつりをした幼い日に帰る術はない。

 雛まつり(雛祭)はスウ・サイと読んで、崇、才。
 杉の迅さはサン・ジンと読んで、参、人。
 くらやみ川(暗闇河)ハアン・アン・センと読んで、暗、庵、潜。
☆崇(あがめる)才(才能)を参(預かる)人を、尋(訪ねてみると)暗い庵に潜(身をひそめていた)。

 雛まつり(雛祭)はスウ・サイと読んで、数、細。
 杉の迅さはサン・ジンと読んで、算、腎。
 くらやみ川(暗闇川)はアン・アン・センと読んで、闇、案、専。
☆数(はかりごと)を細(精密)に算(見当をつける)。
 腎(かなめ)は、闇(ひそかな)案(考え)を、専(思うままにすること)である。


『飯島晴子』(私的解釈)閾の溝。

2021-01-23 06:19:14 | 飯島晴子

   閾の溝あさき日ぐれの蜆汁

 閾の溝あさき、閾の溝が浅いのは普通である、むしろそうでなくてはならない。そんな当たり前のお付き合いの家の夕餉は、ごく普通の蜆汁であった。

 閾の溝はイキ・コウと読んで、域、荒。
 あさき日ぐれ(浅日暮)はセン・ジツ・ボと読んで、詮、実、簿。
 蜆汁はケン・ジュウと読んで、兼、事由。
☆域(境界)が荒(でたらめ)である。
 詮(明らかにする)実(内容)は、簿(帳面)に兼(前もって)の事由(事実)がある。

 閾の溝はイキ・コウと読んで、域、江。
 あさき日ぐれ(浅日暮)はセン・ジツ・ボと読んで、山、実、模。
 蜆汁はゲン・ジュウと読んで、限、重。
☆域(境界)の江(大きな川)や山は実(本当)に模(はっきりしない)。
 限(境目)は重なっている。