続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)重陽や。

2021-01-12 07:16:37 | 飯島晴子

   重陽や冷き茣蓙を抱いてゆく

 重陽は奇数を陽とし、その最大である九月九日を陽が重なる日として定めた節句の日。つまり、陽(太陽)がいっぱいの熱い日である重陽の日には《冷き茣蓙》を抱いていくという飯島春子の洒落である。

 重陽はチョウ・ヨウと読んで、調、用。
 冷き茣蓙はレイ・ゴ・ザと読んで、励、娯、挫。
 抱いてゆく(抱行)はホウ・アンと読んで、抛、暗。
☆調べることが用(必要)であり、励む娯(楽しさ)がある。
 挫けたり抛(放り投げる)のは、暗(愚か)である。

 重陽はチョウ・ヨウと読んで、塚、杳。
 冷き茣蓙はレイ・ゴ・ザと読んで。霊、悟、座。
 抱いてゆく(抱行)はホウ・コウはと読んで、訪、孝。
☆塚(お墓)は昏く霊(死者の魂)を悟る座(場所)である。
 訪れる孝(父母に尽くす)がある。


R.M『大潮』

2021-01-12 06:53:19 | 美術ノート

   『大潮』

 地球に対して太陽と月が直線状に重なる時、満潮と干潮の差が最大になる。
 この画が『大潮』であるという。
 差という意味では明と暗であるが、何を意図しているのだろう。フレームに入った景色は天空であり、それを支える岩は地上の産物である。、雲の有機、岩の無機・・・雲の三態、岩の不変。
 闇の中の岩がフレーム(人智)を支えている。フレーム(人智)の中には青空や雲の自然に馬の鈴(伝説・風評・人心etc)が規則性をもって浮かんでいる。雲の形態は流動的で定めを持たないが、馬の鈴(伝説・人の心理)は天空をも網の目のように張り巡らされ、支配力(影響力)を持っている。しかしこれらが目に見えることは絶対に有り得ない。世界の中に浮遊し潜んであるからである。

 つまりこれは見えないものを意思をもって表明し、見えるべき地上の岩に対峙させている。見えないが厳然として存在するものをフレームに収め、見えるもの(地上の岩)を暗躍するかのように隠した対比、大いなる落差の提示である。


 写真は『マグリット』展・図録より


『城』3569。

2021-01-12 06:40:32 | カフカ覚書

彼女は、突然、(ほとんどもうだれも予期していなかったのです。だって、自然にはんすることですもの)、あいかわらず彼女を愛し、たえず彼女をつけまわしているあなたをあっさり袖にして、知合いや助手たちの尻押しを得てここのご亭主のまえに救いの女神というふれこみで姿をあらわしたのです。


☆突然のことで、だれも予期していなかったのです。だって自然に逆らうことですから常にあなたを愛し、いつも追いかけているあなたを追い払い友人や助手たちの助力で救い主として現れたのです。
※死は突然であって予期は自然に逆らう事である。