続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『セロ弾きのゴーシュ』98。

2013-05-25 06:10:33 | 宮沢賢治
 すると野鼠はびっくりしたやうにきょろきょろあたりを見まわしてから
「いえ、もうおパンというものは小麦の粉をこねたりむしたりしてこしらへたものでふくふく膨らんでゐ手おいしいものなさうでございますが、さうでなくても私どもはおうちの戸棚へなど参ったこともございませんし、ましてこれ位お世話になりながらどうしてそれを運びになんど参れませう。」と云ひました。


☆夜に蘇(よみがえり)現われては消える漠(うつろ)な虚の謀(くわだて)である。
 詞(ことば)に故(もとづく)方(方法)で、惨(いたましい)為(行い)を誠をもって和(争いを収める)薀(奥義)を散(ばらばらに)運/めぐらせている。

*これは夜の幻想としてのお話であり、各動物たちの登場は、二十日過ぎの月から始まり、約50分ずつ遅れています。
 ゴーシュ(Global spirit/地球の精神)と月の化身との対話というわけです。

『城』1282。

2013-05-25 05:57:09 | カフカ覚書
そして、さらにつけくわえて、あの男を小使いに雇ったら、もっとましになるでしょうか、と反問しました。そうならないことは、確実です。

 小使い/Schuldiener→Schulding/責任、義務。

☆そして、さらにつけくわえて、人の責任としてもっとましになるでしょうか、と訊ねました。そうならないことは確実です。

大丈夫かな?

2013-05-24 06:45:05 | 日常
 明日は三浦三崎の荒崎へ行く。来週火曜日は観音崎、水曜日はやっぱり三崎方面・・・。
 野外学習(FW)続き、自ら望んで応募して行くのだから責任は自分にあるのだけれど、それだけの体力というか脚力があるか不安である。

 自信喪失、不安でいっぱいの中、三浦雄一郎氏・快挙の速報!

 不屈の精神力の強靭さ!(おめでとうございます)


 高々そこら近辺の観察イベントにどぎまぎしているわたし(情けない)。

 来年は行かれないかもしれない、行くなら今でしょ!って感じで応募している野外観察イベント。
(歩けなくなったら困るから・・・)そんな理由で参加している初老・・・わたしより年配の人の元気を頂いて何とか敢行している歩こう会の延長。

 運動嫌いのわたしを外へ連れ出してくれるイベントに感謝しつつも、内心躊躇、恐れをなしている意気地なし。

 乗り切れるかな?気合いを入れて行くしかない!
 自ら叱咤激励、背中を押しているわたしであります。(AH・・・運命やいかに)

『セロ弾きのゴーシュ』97。

2013-05-24 06:33:14 | 宮沢賢治
「ああよくなったんだ。ありがたうございます。ありがたうございます。」おっかさんのねずみもいっしょに走ってゐましたが、まもなくゴーシュの前に来てしきりにおじぎをしながら
「ありがたうございますありがたうございます」と十ばかり云ひました。
 ゴーシュは何がなかあいさうになって
「おい、おまへたちはパンをたべるのか。」とききました。

☆総て善(正しい)に頼る等(平等)の運(めぐりあわせ)を可(良しとする)。

*(まもなくゴーシュの前に来て)ということは戻ってきたということ。パンを与えるは《feed》戻るは《back》
 feedback/再生、起死回生を暗示している。

『城』1281。

2013-05-24 06:15:59 | カフカ覚書
それにたいして村長さんは、だって学校のなかはひどくきたないじゃないか、と反論されました。わたしは、これは事実そうなんですが、それほどひどくない、と答えました。

 学校/Schule→Schuld/義務、罪過。
 ひどく/sehr→Seher/予言者。

☆それにたいし、村長(死への第一の門)は、義務のなかには予言という汚点があるじゃないかと反論しました。わたしは、これは事実そうなんですが悪い予言ではないと答えました。

交通事情。

2013-05-23 06:52:08 | 日常
 横須賀市の人口は減り続けているらしい。某雑誌の広告によれば、十年後の横須賀市の人口は12%減とか。
 
 そうかもしれない・・・近隣界隈の会話といえば「みんな年を取ったわ。」というため息交じりの悲嘆。
 地域によっては買い物難民と称される人たちもいなくはない。山の上の新興住宅地には商業地域ではないのでお店がない。数十年も経てばみんな相応の年配、商店街に下りるにも上るにもタクシー。バス停で隣り合わせた年配の婦人は「先月はタクシー代に30万円も使いました」とこぼした。
「夫の年金はタクシー代に消えています」という老婦人もいた。


 タクシーなど贅沢と公言しているわたしもいつかお世話になる日が来るかもしれない。
 それでも外へ出ることができる人たちは幸せ、不具合を持って身の回りのことをお願いするのは辛い。それでもお願いできるお金を持ち合わせている人はそれでしのぐことができる。
 お金も頼れる身内もなく身動きもままならないとしたら、どうすればいい?


「生きている限りはね、自分の足で歩いて、自分のことは自分で!」

 これが日常会話のとどのつまりである。


 大前研一はかつて何かに書いていた「横須賀は衣笠方面で渋滞する三崎街道がネックであり、発展できない最大の理由である」と。
 高速道路も開通。町田市(東京)の友人からは「あなたの家から1時間5分で帰り着いたわ」と電話をもらったことがあるし、大和市の某氏は「お宅まで25分で行きます」とも言った。

 一見便利、でも通常の交通事情はさほど変わらない。

 大型店へは歩いて行かれない。商店街の衰退も胸に刺さるものがある。
 みんな一緒に年をとっていく、この大いなる群像の行く末・・・。


 御身大切に、気をつけながら橋を渡る覚悟である。

『セロ弾きのゴーシュ』96。

2013-05-23 06:38:25 | 宮沢賢治
「なあんだ、これでいゝのか。」ゴーシュはセロをまげて孔のところに手をあてて待ってゐましたら間もなくこどものねずみが出てきました。ゴーシュは、だまってそれをおろしてやりました。見るとすっかり目をつぶってぶるぶるぶるぶるふるへてゐました。
「どうだったの。いおなじかい。気分は。」
 こどもねずみはすこしもへんじもしないでまだしばらく眼をつぶったまゝぶるぶるぶるぶるふるへてゐましたがにはかに起きあがって走りだした。


☆講(はなし)の趣(ねらい)は、字を換/入れかえて推しはかると現われる。
 黙って企(計画)し、文に含ませ記している双(ふたつ)。

『城』1280。

2013-05-23 06:11:08 | カフカ覚書
わたしは、子供たちの面倒をみるだけで手がいくつあっても足りないほどですし、そのうえさらに小使いのことで腹をたてたりしていては、とても身がもちませんからね。

 子供/Kindern→Kett/束縛。
 小使い/Schuldiener→Schulding/義務がある、責任がある。

☆束縛の苦しみなど望んでいません。先祖の責任のことで腹をたてていては身がもちませんから。

公正な抽選。

2013-05-22 06:40:39 | 日常
 横須賀市はデジタル化を推進し、公共施設などの利用も全てパソコンでの抽選となる。この機械的なやり方で教室の確保は不安定になり、不本意な結果に戸惑うこともしばしば・・・(落選の文字も痛い)けれど、公共であれば仕方ないと割り切っている。
 

 昨日はコミュニティセンター主催のイベントの締め切り後の抽選があり、七宝焼きの準備をしていたわたしとAさんの二人が抽選を任せられたのだけれど、方法はごく手動式。

「20名を募集したところ71名の応募がありましたので、この箱の中から20枚を引き抜いてください」と、センター職員の依頼。
 見ると、30センチ立方くらいの箱の中に多分番号が記されたと思われるを紙が四つ折に畳まれ入っていた。
「その前に、先ずあなた方の名前を記入してください」とペンと用紙を差し出された。
(任意の者が任意に選択したという、つまり公正を期して抽選が行われましたという証明である)

 センター職員の思惑を入れない、まったく偶然居合わせた二人(複数)に抽選をお任せするというシステム。


(「観音崎の植物教室」わたしもこのイベントに応募している・・・どうか当たりますように!)



 かくして、
 帰宅してからパソコンを開けたら、残念な結果・・・抽選漏れ。

 自分で抽選して外れたんだから仕方ないわ(アハハ・・)