キヨちゃんの絵。 2014-10-28 07:23:40 | 清一朗 今夏、遊びに来た時に描いた絵・・・壁に張ったり、そのまま押入れに仕舞ったりもしている。先日の電話では、 「絵を沢山描いてうち中に百枚くらいも貼ってあるんだよ」とのキヨちゃんの報告。 わたしも二人の息子も、就学前に絵を描くなんてことは少なかった。記憶にないほどであるのに、孫は絵を描いたり物を作ったりすることが大好き、一日じゅう次は何をしようかなんて言っている。 わたしは五才の子供の前で、すでに「おばあちゃん、敗れたり!」と孫に笑われているような気がして、しょんぼりしてしまう。
節約の話。 2014-10-28 06:51:35 | 日常 Aさんはお寺さんの娘さんである。その彼女の日常は極めて慎ましい。家の敷地も広くがっちりした門扉であるにもかかわらず、庭には大根が植えられていて「今年の収穫は」と言ったり、大量の大根の美味しい浸け方を教授したりしている。 「二階のベランダは十畳ほどの広さがあるので、菜っ葉を育てています。春菊などは摘んでも摘んでも大きくなり、春には花を愛でます」というので、わたしが、 「野菜も育ったころは市場でも安値で出回り、がっかりすることがあります」と言ったら、 「あら、自分で育てたものは格別よ、味が全然違うもの。あなたもプランターに菜っ葉の種を蒔きなさいよ。わたしの所は十五鉢置いてあるの」 我家のプランターを指し「これなんかちょうどいいじゃない」と言うので「すでにチューリップの球根が入っているんです」というと、至極残念そうに「そう」と口ごもった。 一時が万時、節約倹約を旨とし、夏などはペットボトルに水を汲んで二階のベランダに並べ、それをお風呂に水に使用すると電気代が安いと言うので「どのくらい?」と聞いたら「一ヶ月、夏の電気代は三千円を切ります」とビックリするような値を提示。 (そこまでは)というわたしも大いに倹約しているけど四千円を切るまでにもいかない。ほかの人たちの話ではゆうに一万円は越し、二万円は切りたいと言っていたのを思い出すと、まぁ、彼女に近いものはある。 彼女の場合、節約は美徳という信条であるのに対し、わたしは(死ぬまでの収支がどうか間に合いますように)という試算から節約しているので微妙に食い違うけれど、目指す方向が同じなので偶然行き逢うと長話になり、お互いの節約状況を話し合う仲になっている。
『ポラーノの広場』492。 2014-10-28 06:38:11 | 宮沢賢治 * それからちゃうど七年たったのです。ファゼーロたちの組合ははじめはなかなかうまく行かなかったのでしたが、それでもどうにか面白く続けることができたのでした。 ☆死地の念(思い)、蘇(よみがえる)業(善悪全ての行い、またそれが将来に及ぼす影響)の講(話)に面(向き合う)ことを告く。禱(神仏への祈り)である。
『城』1779。 2014-10-28 06:09:46 | カフカ覚書 夜、あなたの横に寝ていても、わたしは、眠るわけにもいかず、むこうの様子を見張っていなくてはなりません。ひとりは、掛けぶとんにぴったりくるまり、ひとりは、ストーヴの焚き口をあけて、そのまえに膝をついて、薪をくべている。それを見張っていなくてはならないんです。そのために、あなたを起してしまうのじゃないかとおもうほど、身をのりださなくてはならないこともありますわ。 ☆死、あなたのそばに横たわっていても、わたしは永眠するわけにはいかず、むこうの様子を見張っていなくてはなりません。ひとりは覆われた先祖の落とし穴に眠り、ほかの人は裂け目で企てを開き、その策略に熱くなっている。 それを見張らなくてはならないのです。そのために、あなたが荒地を鼓舞するのではないかと思うほどです。
リース。 2014-10-27 07:15:20 | 日常 先日のバードウオッチングで見つけたカラスウリの朱い実。 博物館の先生からは、「そこらの植物をやたらとってはいけません」と注意されている。 でも元々のろのろ歩いているわたし、もっとメンバーが先に行ったのを見届けてちょっと拝借。(お行儀が悪くてごめんなさい) 玄関のリースに加えた。緑のスイカ模様の実が少々重くてバランスを崩したけど、秋らしいリースの出来上がり。
『ポラーノの広場』491。 2014-10-27 07:03:07 | 宮沢賢治 「それではさようなら。また行きますよ。」ファゼーロは云ひながらみんなといっしょに帽子をふりました。みんなも何か叫んだやうでしたがそれはもう風にもっていかれてきこえませんでした。そしてわたくしもあるきみんなも向ふへ行ってその青い風のなかのアセチレンの火と黒い影がだんだん小さくなったのです。 ☆講(はなし)の運(めぐり合わせ)は、茫(はるかに遠い)死であり、化(教え導く)教(神仏のおしえ)の譜(つづく)講(はなし)である。 構(組み立てた)講(はなし)は照(あまねく光があたる=平等)を普(広く行渡らせる)ものである。 化(教え導くこと)で告げるのは永(とこしえ)の照(平等)である。
『城』1778。 2014-10-27 06:42:36 | カフカ覚書 わたしにそれがわかっていないとでもおもっていらっしゃるの。わたしは、あの人たちのことを恥ずかしいと思っているのよ。でも大事なのは、そのことなんです。つまりね、あの人たちがわたしを反発させるのではなくて、わたしのほうが、あの人たちのことで恥ずかしくなってしまうの。ほかの人があの人たちに腹をたてたら、わたしは笑ってすまさなくてはならないの。ほかの人がぶんなぐろうとしたらわたしは髪の毛をなでてやらなくちゃならないんです。 ☆それがわたしにわかっていないとでも思うの、わたしはあの人たちのことを恥ずかしいと思っている。でも大事なのはまさにそのことなんです。あの人たちがわたしを打つのではなく、わたしはあの人たちのことが恥ずかしいんです。 わたしは常にあの人たちのことを見ていなくてはなりません。ほかの人があの人たちを怒らせたら、わたしは復習しなくてはならないし、ほかの人が打とうとしたらわたしは彼ら(大群)を抹殺しなければならないのです。
バードウオッチング②/津久井。 2014-10-26 06:33:54 | 博物館講座 外へ出る予定がなかったのでほとんど家に閉じこもり気味だった昨今、膝の痛みが増幅し、ようよう歩いている状態にまで陥ってしまった。散歩の励行・・・これがままならない、どころか目的もなしに歩くということが皆無。(散歩の楽しみを知らない野暮天) それでも、(せめて)という思いで「FW」や「歩こう会」に頼っている。 昨日は博物館講座でバードウオッチング。《どこでもいいの、わたしを歩かせに連れてって!》というだらしない態度の参加(申し訳ない)で、津久井浜へ。 津久井川で、カルガモの親子(?)小鷺、キセキレイもいたらしいけどわたしは目撃出来ず。 鳶は空高くいくらでも舞っている(通常気にしないけど)。ハイタカ、ツミ、ノスリ(鷹)は(ちょっと判別不可) ヒヨドリは家の近くの木にとんでもなく沢山集まってくるのでよく分かる。 「モズがもう来ているんですね、鳴き声だけですが・・・」と、先生。 シジュウカラ、イソヒヨドリ、ハクセキレイ、カワラヒワ(冬は群れている)、ホオジロ(農耕地や林の境目辺りに)・・・薄ぼんやり付いて歩いているのと視力の衰えで、先生の指摘される対象(鳥)をすばやく確認できないのは残念。 それでも、柵の上に並んだ雀たちの可愛いこと!やウグイスの地鳴き(チャチャ)をしかと聞いたり、メジロの(ツィーツィー)の声を確認出来、歩きながら耳を澄ます愉しさも教えていただいた。 何時「大丈夫ですか?」なんて声を掛けられるか心配の態、帽子を忘れてスカーフでほっ被り。緊張感のゆるんだ受講生ではありましたけど、楽しく参加させていただきました。 稲森先生、萩原先生、ありがとうございました。数を重ねて親しくなった友人たちにも感謝。フィールドワークはいつの時も楽しい!
『ポラーノの広場』490。 2014-10-26 06:24:21 | 宮沢賢治 「いつものところへ来てわたくしどもは別れました。そこにほんの小さなつめくさのあかりが一つまたともってゐました。わたくしはそれを摘んでえりにはさみました。 ☆記(書いたもの)を瞥(ちらりと見る)と、照(あまねく光があたる=平等)が逸(隠れている)。それが的(ねらい)である。
『城』1777。 2014-10-26 06:11:52 | カフカ覚書 なんて不愉快な、いやな若造たちでしょう!顔からすれば、れっきとした大人か、ほとんど大学生のようにおもえるのに、することと言ったらまるであべこべで、子供じみてばかみたいですわ。 ☆なんて嫌な悲しい新しい物でしょう。幻影からすれば、荒地の研究家のように思えるのに、することと言ったらまるで法外で子孫の狂喜みたいですわ。