「どうもありがたう。どこでできるのですか。こんな立派な苹果は。」
青年はつくづく見ながら云ひました。
☆律(決まり)を把(つかむと)蔽(見えなかった)果(結末)の照(あまねく光が当たる=平等)の念(思い)が、現れてくるようの運(めぐらせている)。
〈この子は、ソルティーニにぞっこん惚れこんでしまったんだ〉と、ブルーンスヴィックは断言しました。ブルーンスヴィックという人は、いつもすこしがさつで、アマーリアのような人柄にたいしては全然理解力がないのですが、このときだけは、彼の意見がほぼ正しいようにおもえました。
☆彼女は不合理にもソルティーニにこいしてしまったんだ、とブルーンスヴィックは言いました。彼は何しろ地球で自然(自然の理)でしたから、アマーリア(マリア/伝説)には少しも理解を持ちませんでしたが、この点の彼の意見は非常に正しいと思いました。
『ピレネーの城』
海上に浮かぶ巨岩石、その上にその岩石で作られた城がある。
背景はあくまでも、空は青く白い雲が散在する現実の風景であるゆえに、これは現実の中に浮かぶ非現実(幻影)の世界である。
共存だろうか、否、すべてが幻の光景と化している。
巨岩石が浮かぶことはあり得ない。浮かんでいるが、いずれ落ちることを想定せざるを得ない光景である。
地球という塊は宙に浮いている。その中に人は生息し社会を築き、権威の象徴を築城している。
ずっと遥かな超未来には、過去の遺物として地球の形はこのように形骸化し宙に浮かぶ日があるのではないか。この背景の海と空は奇跡的に酷似し誕生した新生地球かもしれない。
過去と現在そして未来の時空を自在に想像し、時空の凝縮、置換、重複をさらりと描くマグリット。
鑑賞者は現時点から作品を鑑賞するので、矛盾した光景にひたすら驚愕せざるを得ない。
《重い石が浮くなんて!》不条理以外の何物でもない光景であるが、自由な精神界では、学習された通念を簡単に覆し壮大な時空に思いを馳せることを可能とする。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)
燈台看守はやっと両腕があいたのでこんどは自分で一つづつ睡ぅてゐる姉弟の膝にそっと置きました。
☆等(平等)の題(テーマ)を貫く趣(考え)である。
両(二つ)の一(一つ)は、字で文を逸(隠している)。
推しはかる詞(ことば)の態(ありさま)は、悉(ことごとく)知(心に感じ取ることである)。
それだけがすべてでした。わたしたちは、アマーリアはほんとうにお婿さんを見つけたよ、などと言ってさんざんからかいました。なにも知らないわたしたちは、午後じゅうずっと陽気に浮かれきっていました。けれどもアマーリアだけは、ふだんよりもだまりこんでいました。
☆死がすべてでした。わたしたちはアマーリア(マリア/伝説/月)はほんとうに青くなっているよ、と言ってからかいました。すべて小舟の仲間は非常に喜びましたが、アマーリアだけは黙っていました。
『一夜の博物館』
四つ(十字)に仕切られた箱状の中には、腐ったリンゴ(果実)・人為的(ハサミで任意の形状を切り取った平板で中を覆っている個所・黒く不明な形状の置物・そして切り取られた左手が、各収められている。
これらが表しているものは何だろう。博物館というのは《過去》の事象を扱い、提示・研究する機関であれば、少なくともここに未来はない。
未来から見た現代かもしれない。
未来人たちは儚くも表出したこれらの事象の因果関係を考える。
腐ったリンゴ(果実)は、生命の実(『創世記」より)と称されるものかもしれない。切断された左手は(もしあなたの右の手が罪を犯させるなら、それを切って捨てなさい/『マタイによる福音書より』の暗喩かもしれない。
下段(右)の不定形な穴の開いた平板は人為的な工作であり、傷痕とも美ともとれる謎を秘めた板状である。折り重ねて切り抜かれているということは圧力・服従・承認など複合的な意味合いを有している。その板状が隠ぺいする空間(闇)とは何だろう。不平・不満・抑圧・憎悪・・・孕む真意は未来永劫、言葉にできない混濁の民意かもしれない。
下段(左)の黒い不明な物は何を意味し、象徴しているのだろうか。思考やイメージを拒否する沈黙の静けさがある。
《生命・罪・隠蔽された歴史・沈黙》これらは過去の地球が残した遺物であり、収集した記憶の欠片である。
超未来人たちは幻のような手掛かりに首をひねるのではないか。
わたしたちが長いと感じている人類の歴史など、『一夜の博物館』のようなものに過ぎないかもしれない。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)
「ありがたう、」と云ひました。すると青年は自分でとって一つづつ二人に送ってよこしましたのでジョバンニも立ってありがたうと云うひました。
☆講(はなし)を謀(計画し)解(バラバラにする)謀(計画)を運(めぐらせている)。
照(あまねく光が当たる=平等)の念(思い)を示す分を逸(隠している)。
普く図りごとは、双(二つ)の律で運(めぐらせている)。
で、あの人は、アマーリアを見るなり、はっと息をのんだようになり、ポンプの梶棒をとび越えて、アマーリアのほうに近づこうとしました。わたしたちは、最初それを誤解して、父の引率の下にこちらから近よって行こうとしました。ところがソルティーニは、手をあげてわたしたちを制止し、やがて立ち去るようにとの合図をしました。
☆で、あの人はアマーリア(マリア/伝説/月)を見るなり、感謝の礼をし、立ち止まりました。わたしたちは最初それを誤解して父(先祖)の指揮の下、死に近づこうとしました。しかしながら彼は手をあげて引きとめやがて立ち去るようにと合図しました。
雨風が激しいという警報が出ているとのことで、本日の「歩こう会」は中止との電話連絡。
「歩こう会」に参加させてもらっているけれど、ぎりぎりである。やっとの態・・・でも、退会すれば、もっとみじめな毎日が待っているような気がして躊躇っている。
中止の連絡を受けてホッとしているわたしの体たらくが寂しい。
地層見学会でも「近日中にほかの断層を見るイベントがあります」などと言われても(今日がやっとなのに、)と、元気よく手を挙げられない。
こんな風に年を取っていくのだと悲観していると、「わたしなんか5街道を歩いたわよ」といい、「生命の星博物館の会員でもあるの」という人もいる。同じ年代でも大きな落差があり、羨望の念を隠せない。
それでも何とか覇気のない自分を叱咤激励し、自分を辛うじて動かしている。
「頑張れ、がんばれ、元気出して歩け!」と。
『不穏な天気』
それぞれ白いトルソ・チューバ・イスの三点が、平穏な海と青空の中に描かれている光景である。
確かに全体はブルーの彩色で占められているが、海岸(岸壁)は岩礁というより岩だらけであり、臨む山々も黒もしくはモノトーンで精彩を欠いた風景である。
一見すると《青と白》の色調は清々しく映り、不穏さは感じられない。
ただこの宙に浮く三つのものを読み解くと、
白いのトルソは、憧憬、性欲。
白いチューバは、主張、命令。
白い椅子は、地位、権威。
などを各暗示、仄めかしている。
白く浮かぶ雲に被せた妄想は深層を揺らす。波一つない平穏な情景に潜む不穏の予兆。
清明な空気が漂う情景も、心理の眼鏡を通せば屈折した光景が浮上する。生きることは、《煩悩に迷い、自分の主張と社会の規定との亀裂を抱え、地位に固執し権威に打ちのめされる》という穏やかならぬ状況に在るということかもしれない。
空と海とは限りなく青く、浮かぶ妄想は純白であることにマグリットのペーソスが隠れている。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)