続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)天網は。

2021-08-27 07:19:42 | 飯島晴子

   天網は冬の菫の匂かな

 天網はテン・モウと読んで、伝、猛。
 冬の菫の匂はトウ・キン・ニオと読んで、闘、金、仁王。
☆伝(言いつたえ)では猛(荒々しく)闘う金(尊い)仁王(金剛力士像)がいる。
※阿形と吽形像二体を対とする。

 天網はテン・モウと読んで、顛、望。
 冬の菫の匂はトウ・キン・ニオと読んで、套、禽、鳰。
☆顛(頂)から望むと、套(ありきたり)の禽(鳥)、鳰(にお)がいる。

 天網はテン・モウと読んで、展、朦。
 冬の菫の匂はトウ・キン・ニオと読んで、蕩、菫、匂。
☆展(かえりみると)朦(おぼろ)に蕩(揺れ動く)菫の匂い(香り)がする。
※ほとんどの菫は香ることがなく、香るのは(匂い菫)と称されるもの。


D『パリの空気 50㏄』

2021-08-27 06:57:44 | 国木田独歩

   『パリの空気 50㏄』
 レディ・メイド:ガラス製アンプル、高さ13.5㎝、円周20.5セン㎝

 この中に、パリの空気50㏄が入っているという。ズバリ判定できる基準は存在しない。
 不確定、絶対に確証の証明を出し得ないものである。そうかもしれないが、そうでないかもしれず、というより《パリの空気》なんてものがあったろうか。気流は巡っているし、第一見えない。
「言葉と物」、確定できない物に対する大雑把な命名は置換が可能である。パリでもアフリカでも日本でも自在であって、それを否定できる論拠を見いだせない。

『パリの空気 50㏄』は秀逸なセンスをもって把握不可能なものを把握し得た感があり、センス・・・物理界と精神界の境界を覗いた作品である。


『セロ弾きのゴーシュ』16。

2021-08-27 06:31:03 | 宮沢賢治

 猫…夜中もとうに過ぎ
 くゎくこう…十二時は間もなく過ぎ一時も過ぎ二時を過ぎても
 狸の子…夜中すぎまで
 野ねずみの母子…明け方近く思はずつかれて(略)扉をこつこつと叩くものがあります。

 時間が少しづつずれていることがわかる。仮に野ねずみの母子の来訪を四時(明け方近く)とすると、狸の子は三時十分、くゎくこうは二時二十芬、猫は一時半(夜中もとうに過ぎ)と、推定できるのではないか。
 五十分づつの時間のづれ・・・これは月の運行、月の出る間隔である。
 毎夜訪れたのは、月の化身である。
 三毛猫(月)、くゎくこう(死にゆく老人)、狸の子(木星の子)、野ねずみの母子(病気治癒、生還)。
 ゴーシュ(地球の精神)の抱えている必至の条件、生死、酸素と光(雷というエネルギー)を毎夜の来客により表現している。


百歳万歳!

2021-08-26 07:44:52 | 日常

 近所のKさんは百歳である。いつも元気で彼女に会うと元気をもらう。
 犬の散歩で急に走り出した犬に気づかず転倒した時も「今日は、うまく転べたよ」とにっこり。
 二人で買い物に出かけた時も「あんた重そうだね、持ってあげようか」と年上のKさんに気遣われたこともある。(彼女は80代わたしは50代)
「ちょっとそこまで」というので付いて行ったら、こちらはくたくた・・・豆の蔓を延ばすのに細い竹が要るとのことで、スリッパを脱ぎ捨てて藪の中へ果敢にも入って行った時の驚き(だって、90才にも近いころの話)

息子さんを見かけたので「お母さんお元気ですか?」と挨拶をしたら、「はい、元気にしています。デイサービスで送られドアの中に入っても、ヘルパーさんが帰る車の前まで再び出てきて手を振るんですよ」という。
 そしてこの9月にはめでたく101歳になるとのこと。
「毎日ね、毎日喧嘩していますよ、大きな声で」と笑った。

 それから去年、入院中に院内感染でコロナにかかったという、コロナも恐れをなして逃げたのかも。スゴイよ、Kさん。百歳万歳! Kさん万歳!


『飯島晴子』(私的解釈)男らや。

2021-08-26 07:23:42 | 飯島晴子

   男らや真冬の琴をかき鳴らし

 男ら(男等)はダン・トウと読んで、談、盗。
 真冬の琴はシン・トウ・キンと読んで、侵、謄、禁。
 かき鳴らし(掻鳴)はソウ・メイと読んで、送、命。
☆談(話)を盗んで侵し、謄(書き写すこと)は禁(タブー)である。
 送(みおくる)と、命(申しつける)。

 男ら(男等)はダン・トウと読んで、団、豆。
 真冬の琴はシン・トウ・キンと読んで、浸、淘、均。
 かき鳴らし(搔鳴)はソウ・メイと読んで、燥、命。
☆団(まるい)豆を浸(水にひたし)淘(より分ける)。
 均(ならして)燥(乾かすように)命(申しつける)。
※中身のない豆は浮く。

 男ら(男等)はナン・トウと読んで、楠、倒。
 真冬の琴はシン・トウ・キンと読んで、慎、等、緊。
 かき鳴らし(搔鳴)はソウ・メイと読んで、左右、明。
☆楠(くすのき)を倒す。
 慎(過ちのないように気をつける)等(など)、緊(気を引き締めて)左右を明らかにする(確認する)。


D『旅行者用折り畳み品』

2021-08-26 07:02:53 | 美術ノート

   『旅行者用折り畳み品』
 レディ・メイド:アンダーウッド社タイプライターのカバー

 カバーである、本体ではない。
 では本体は旅行者用の何かなのか、それともカバー自体が旅行者用に必要なのか。
 旅行者用という言葉自体が不特定で曖昧である。
  在宅では不要な物なのか、旅行者用に便利? なるべく荷は軽くしたい旅行者にとってカバーはむしろ不要であるはず。

『旅行者用折り畳み品』に意味や目的を捜すのは困難である。提示された難問を凝視するが、答えが出ない。つまり《空》である。
《無》に対して、名づけられた仮称の重さを測りかねる事態に陥る。

 名づけられた物は、名づけられた物に等しいという鉄則がある。しかし、想像の域を出ない架空のものに対してその質量を推しはかることはできない。
 ゆえに、名づけられた物は必ずしも名づけられた物に一致しないという《例外の領域》を認めるべきだという主張がここにはある。


『セロ弾きのゴーシュ』15。

2021-08-26 06:13:59 | 宮沢賢治

「先生、この児があんばいがわるくて死にさうでございます・・・
「おれが医者などやれるもんか。」
「先生は毎日あんなに上手にみんなの病気をなほしておいでになるではありませんか。」

 セロ弾きのゴーシュは、セロ→ゼロ→O(O₂)酸素ひきのゴーシュである。酸素は生命の要、酸素のおかげで地球上の生物は生存を果たしている。酸素濃度を上げることが生命維持、病気回復につながっていく。

「はい、からだ中とても血のまはりがよくなって大へんいゝ気持ちですぐに療る方もあればうちへ帰ってから療る方もあります。」

「ああよくなったんだ。ありがとうございます。ありがとうございます。」と、ねずものおっかさん。
「おい、おまえたちはパンはたべるのか。」と(ゴーシュは)ききました。

 食べ物を与える→feed、
 それ(パン)をくはえてこどもさきに立てて外へ出ていきました。(帰る)→back、・・・feed backは再生である。


『飯島晴子』(私的解釈)白露に。

2021-08-25 07:25:53 | 飯島晴子

   白露に肉荒れてゆく山の禽

 白露はハク・ロと読んで、迫、炉。
 肉荒れてゆく(肉荒行)はニク・コウ・アンと読んで、憎、構、暗。
 山の禽はセン・キンと読んで、千、禁。
☆迫(苦しめる)炉(原子炉)は憎い構(構想)である。
 暗(ひそか)に千(沢山)の禁(差し止め)がある。

 白露はハク・ロと読んで、白、路。
 肉荒れてゆく(肉荒行)はニク・コウ・コウと読んで、肉、講、考。
 山の禽はサン・キンと読んで、算、襟。
☆白(あきらか)に路(すじみち)には肉(内容のふくらみ)がある。
 講(話)は考えて算(見当をつける)襟(心の中)で。

 白露はハク・ロと読んで、剥ぐ、蕗。
 肉荒れてゆく(肉荒行)はニク・コウ・コウと読んで、肉、腔、香。
 山の禽はセン・キンと読んで、千、金。
☆剥く蕗の肉(中の膨らみ))は腔(中空)になっている。
 香りは千金(価値が高い)。

 白露はハク・ロと読んで、白、露。
 肉荒れてゆく(肉荒行)はニク・コウ・アンと読んで、難、講、案。
 山の禽はセン・キンと読んで、千、襟。
☆白(申し上げる)と露(現れ)難い講(話)がある。
 案(考え、下書き)は千(たくさん)襟(心の中)にある。


『飯島晴子』(私的解釈)夜の弓。

2021-08-25 07:03:20 | 飯島晴子

   夜の弓ならふ白露の山塊よ

 夜の弓はヤ・キュウと読んで、夜、杞憂。
 ならふ白露(倣白露)はホウ・ハク・ロと読んで、朋、泊、露。
 山塊はサン・カイと読んで、散、戒。
☆夜(夜間)の杞憂、朋(仲間)が泊ると露(実態が表に出てきてしまう)。
 散らかっているので、戒(事前に用心する)。

 夜の弓はヤ・キュウと読んで、爺、灸。
 ならふ白露(倣白露)はホウ・ハク・ロと読んで、法、迫、漏。
 山塊はサン・カイと読んで、酸、快。
☆爺はお灸の法(手立て)で迫(苦しむ)。
 漏らすのは、酸(辛い)が、快(心地よい)と。

 夜の弓はヤ・キュウと読んで、野、球。
 ならふ白露(倣白露)はホウ・ハク・ロと読んで、放、吐く、露。
 山塊はサン・カイと読んで、惨、悔。
☆野球を放(遠ざける)と吐く。
 露(さらけ出した)惨めを悔やむ。(後悔している)


D『泉』3。

2021-08-25 06:44:22 | 美術ノート

『泉』、小便器、明らかに男性使用の器具に違いない。男であることの証明、男性しか使用できない物である。
 装身具、寝食…等しく与えられている。能力においては不確定であり、特に身体能力に差異があることは知られているが、例外はある。
 しかし、この小便器に限り男女の差を超える例外はない。

 小便器(絶対)の前で、ため息をつく。宿命、すでに差異あるものとしての男と女ではないか。
 しかし、見えない壁に目を凝らす。
『泉』(小便器)の物理的境界は否定しようがない。しかし、見えない壁(心理)に於いての複雑な感情、それぞれ抱く主張は並べて二つ(男・女)に区切られるものではないと。

『泉』の前で深く考え込む者は少数派かもしれないが、確実にこの問題に同意する者があることを人間世界に問う作品提示である。