厚木駅から数分程の海老名市中新田の住宅街の一画に地頭高木主水正次が当地の守護として元和6年(1620)創建、往時より中新田の人々の「産土神」としてまた「お諏訪様」と尊称されている「中新田諏訪神社」は鎮座している。当地域は大化の改新(645~6)後、海老名耕地の開墾で誕生、農業の安全と繁栄を祈願して諏訪大明神を勧請したのが創始である。祭神は建御名方命。境内は広く一千坪超え南向きの社頭、「鳥居」を抜けると木立に覆われた長い参道が流造桧板葺の「本殿」を覆う「覆殿」、両流造りの「幣殿」、日吉造りの「拝殿」の三棟一宇からなる権現造りの「社殿」に真っ直ぐ伸びている。参道脇に「手水舎」、左に切妻造りの「神楽殿」、社務所がある。例大祭のほかに雹祭、虫除祭、風祭、案山子祭りも有名である。(2412)
海老名市中野にかつて村内の鎮守として崇められていた「中野八幡宮」鎮座している。当宮の創建年代等は不詳。慶長年間(1596-1615)に大破、別当である「中野山盛福寺」の開山・能山師が大願を発し慶長8年(1603)に再建(再造)。村民の協力、尽力により慶長6年(1601)より再建に着手、同8年(1603)9月吉日に造立した「棟札」がある。棟札には大工、鎌倉の住人・巌藤喜三郎 御神体雲湲彫刻とある。大正12年の関東大震災で半壊し、大正14年9月復旧した。祭神は誉田別命。盛福寺の隣りに鎮座し鳥居を抜けると左手にご神木の「銀杏樹」、「鐘樓」がある。境内正面に市重要文化財の一間社流造りの内宮で、覆殿内部に安置されている「本殿」がある。建設年代は18世紀前期。境内社として本殿右横に「白山社」がある。(2412)
海老名市中新田46号線沿いに小さな鳥居と社がある。中新田諏訪神社の摂社・末社である山王原「山王日枝社」と「稲荷社」が鎮座している。この山王原山王日枝社は宝永6年(1709)に創建、中新田村の字山王原にあったが神仏分離令により明治43年「中新田諏訪神社」に合祀された。昭和25年(1950)に氏子中の願いにより元の鎮座地に還座した。もう一つの「稲荷社」の創始は不詳だが中新田諏訪神社の摂社・末社に、山王日枝社・稲荷社と併記されている。山王日枝社の祭神は大山咋命。(2412)
多摩市落合に全国に3千余を数える「白山神社」の総本社「白山本宮」として崇敬されている「落合白山神社」は鎮座している。唐木田、中組、山王下、青木葉、上ノ根を云う五字の鎮守として祀られている。この地は府中より鎌倉に通じる相模道に面した静かな佇まいだが慶安(1648)年中に御朱印十石を賜わる歴史的意義を秘める神社である。正面の「社殿」は白山大権現の象徴である本殿・拝殿一体構造の「権現造り」である。創建年代(不詳)は出土した木像四体より推測すると500百年前に建立され、後に再興(推定)された。落合旧記・武蔵風土記稿では江戸時代に加賀一ノ宮「白山比咩神社」の社霊を勧請し、元和4年(1618)霜月11日遷宮の「棟礼」があり、別当寺として近くにある「青木山東福寺」を配し白山大権現を奉祀する。明治の神仏分離により「白山神社」と改称した。祭神は伊弉諾尊、伊弉冉尊の2柱である。多摩ニュータウンの華やかな街のサンリオビューランド傍の丘陵にあり、なだらかな石段を上ると「鳥居」があり紅葉に包まれた境内の正面に「拝殿」があり、左に社務所と手水舎、右奥に境内社、二つの石碑もある。(2412)
相模原市南区当麻、当麻市場がある静かな住宅街の一画に相模原市内唯一の天満宮で当麻村の鎮守の「当麻天満宮」は鎮座している。天満宮は「天神」、「天神さま」、「天神さん」とも呼ばれる。社名は天満神社、祭神の生前の名前から菅原神社、天神を祀ることから天神社、また鎮座地の地名を冠していることもある。主な天満宮は「北野天満宮」、「太宰府天満宮」、「防府天満宮」、「弘前天満宮」がある。都内文京区の「湯島天満宮」は有名である。当宮は近江国旧三井寺座主妙音が延久5(1073)に世を逃れて当地に隠棲、「天満宮」を勧請し、更には「山王権現社」一宇を建立。江戸期には当麻村の鎮守として祀られ、明治期には村社に列格していた。当社には元別当寺だった「天満山明達院梅松寺」の本尊である不動明王像や古は「大日堂」にあった鎌倉後期の作の十一面観音菩薩坐像の懸仏が残されている。祭神は菅原道真公。厚木城山線508号の「当麻市場」信号奥に鎮座し構えられた「鳥居」から参道を進むと右側に「拝殿」(奥に本殿)がある。境内には稲荷社が合祀されている。境内は紅葉、黄葉で彩られ美しい神域となっている。(2411)