相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!
☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

新撰組に関する資料を保存・公開している「小島資料館」を訪門!!

2021-01-04 18:15:22 | 史料館
町田市の北部、緑豊かな多摩丘陵地域に位置する町田市小野路町は江戸時代には東海道と甲州街道を結ぶ脇街道として、また埼玉方面から大山詣でに往来する人々で賑わう「宿場町」であった。「小野路宿交流館」「小野神社」前に小野路の名主「小島鹿之助」(第20代当主)文政13年(1830)~明治33年(1900)武州多摩郡小野路村(現在の東京都町田市小野路町生まれ)の敷地がある。小島鹿之助は天然理心流3代近藤周助の門人となり、4代目であり幕末には親交があった新選組の新選組局長だった4才下の「近藤勇」や、「土方歳三」が京都へ行く前はよくこの小野路村へ剣術の出稽古に訪れ、小島屋敷内の道場で近在の若者に剣技を教えていた。また小島鹿之助は近藤勇に漢学を教授したといわれている。保存されていた新撰組関係の資料を見て頂こうと昭和43年11月に私設の資料館「小島資料館」を開館した。現在の館長は小島家24代当主小島政孝氏である。資料館の収蔵品は東京都指定有形文化財(平成5年3月に指定)旧多摩郡小野路村名主小島家文書、合計6978点(近世近代地方文書が4488点、書籍が2321点、歴史資料169点)。近藤勇からの手紙や沖田総司の年賀状、近藤勇の稽古着、 近藤勇の晒し首を報じる瓦版、新選組墨印などである。しばし幕末に思いを馳せることとなった。(2012)
 
 
 
 
 





                 
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町田市立「自由民権資料館」貴重な史料&資料がいっぱい!!

2018-06-08 08:15:32 | 史料館
東京都町田市野津田町に自由民権運動や町田の歴史に関する資料を中心に展示・保管している町田市立「自由民権資料館」はある。元は自由民権運動に係わった「村野常右衛門」が私財をかけて明治16年(1883)に建造した文武道場「凌霜館」の跡地であり、村野家から寄付された土地に町田市が当該施設を建設した。明治初期に多摩の各地でも多くの活動家が自由を求めた運動を繰り広げていた。昭和61年(1986)開館した当館には町田、多摩、神奈川の自由民権運動関係史料、資料がガラスケースに展示されており興味深い。また資料館建物の背後には「雑木林」があり梅雨期の代表花「アジサイ」が白い花房をつけていた。(1806)
















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史跡人吉城を知るガイダンス施設「人吉城歴史館」

2017-11-26 14:31:16 | 史料館
人吉市麓町=国指定史跡人吉城跡内に七百年に亘って人吉・球磨地方を治めてきた相良家関係の資料を収蔵、史跡人吉城をまるごと知ることができるガイダンス施設「人吉城歴史館」はある。白色で統一された建物(館)は「展示棟」、「管理棟」、「地下室遺構覆屋」に分けられている。展示物は兵法や狩りに関する古文書、人吉城の別名でもある「繊月城」の名の由来となった「繊月石」がある。館内には「城に学ぶ」を展示テーマとし「人吉城」と「当主相良氏」を中心に映像を使用した展示もされている。また世界に類例のない相良清兵衛屋敷の井戸を備えた特殊な石造の地下遺構「地下室遺構」がある。これは東西が6m、南北が5.2m、深さは3m。地下室には北東角と南西角に石階段の出入口が付いている。西側中央部には湧き水を湛える深さ2.3mの井戸があり、その底には日本刀一振が沈められていたという。寛永17年(1640)の人吉城絵図にある相良清兵衛屋敷内の二階建て「持仏堂」の位置にある。建造当時の姿に石積みが復元されている。(1711)






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博士の生涯と業績を展示する「野口記念館」

2016-12-07 11:18:30 | 史料館
福島県耶麻郡猪苗代町(猪苗代湖北岸)越後街道=国道49号線沿いに福島県第一号の博物館「野口英世記念館」はある。日本の歴代科学者人気№1、千円札の顔でお馴染の野口英世は磐梯山の麓、猪苗代湖畔の自然豊かな三ツ和村(現猪苗代町)で生まれた。この記念館にはノーベル賞の候補にもなった科学者・野口英世の生涯と業績をわかりやすく展示している。館内には野口英世の胸像、身の廻り品や書籍などの遺品をはじめ、参考品の数々が陳列されている。また、会館隣には茅葺屋根の「野口英世生家」が当時の姿のまま保存されている。会津地方独特の建築様式の生家内には博士の生涯を左右した左手火傷を負った「いろり」や、少年清作が上京の折に「志を得ざれば再び此の地を踏まず」とその決意を力強く刻みつけた床柱なども残されている。敷地内には「観音堂」と「誕生地の碑と忍耐の碑」が建立されている。母シカが植えた桑の木、洗い物をした小川もある。野口英世は黄熱廟の研究をし自らも感染し51歳の短い一生を終えている。(1612)














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セイルタワーと呼ばれている「海上自衛隊佐世保史料館」を見学

2016-11-11 17:00:40 | 史料館
佐世保市上町に旧海軍の遺産を継承する艦艇史料を展示施設「海上自衛隊佐世保史料館」はある。建物の形から愛称は「セイルタワー」である。当館は日本海軍の遺産を継承する施設として佐世保水交社跡地にその建物の一部を修復、新館を増設した建物となっている。旧館は水交社の八角形装飾屋根や蛇腹模様の外観を生かし、新館は展示テーマ「波とうを越えて」を反映させ正面にはガラスを用いて青く広大な海原を頂部の造形で純白の帆が表現されている。1階は企画展示・佐世保地方隊史料、2階は海上自衛隊の装備、活動(南極観測船、災害派遣、海外派遣など)史料、3階は海上自衛隊の艦船、歴史展示、4階は海軍の軌跡とくに太平洋戦争の史料、5階は 海軍の軌跡特に日清戦争、日露戦争の史料、6階は長崎海軍伝習所から佐世保鎮守府開設までの歩みの史料、7階は展望ロビー・映像ホールとなっている。6階から降りていく形で知識深そうな男性案内人のユーモラスな説明を受けた。6階上からは軍港に浮かぶ軍艦、潜水艦が見える、海上も日米の区分けが明確にされていることが確認できる。(1611)

















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