法隆寺の東院伽藍に隣接して中宮寺がある。
中宮寺は聖徳太子の母、穴穂部間人
(あんほべのはしひとの)皇后の願いで創建された。
現在、寺がある場所の東三丁のところに旧地があり、
発掘調査の結果、南に塔、北に金堂を配した四天王寺式
配置伽藍だったとある。
法隆寺は僧の寺、中宮氏は尼寺である。説明によれば
当寺にゆかりのある高松宮妃殿下が万一のことがあったらと
いうことで昭和43年(1968年)に耐震耐火の御堂を
建てられたそうだ。
本堂には飛鳥時代最高の傑作の誉れ高い俗に弥勒菩薩と
呼ばれる、本尊如意輪観世音菩薩半跏像が祭られていた。
暗い本堂の中ながら目に届くままに像を追いながら
夢中でスケッチした。
寺が用意したしおりに以下あった。
「国際美術史学者間では、この像のお顔の優しさはを評して、
数少ない『古典的微笑(アルカイックスマイル)』の典型として
評価、エジプトのスフィンクス、レオナルド・ダ・ビンチ作の
モナリザと並んで「世界の三つの微笑像」とも呼ばれている。
半跏の姿勢で左の足を垂れ、右手を曲げて、その指先きを
ほのかに頬に触れんばかりの優美な造形は、いかにも人間の
救いをいかにせんと思惟されるにふさわしい清純な気品を
たたえています。」(了)
江嵜企画代表・Ken
Kenさんのスケッチは、ブログ容量の関係で削除させて頂きましたが、11月1日に、「かんぽう」さんから『ユニークに乾杯』というタイトルで出版予定です。定価2.000円。
ISBN978-4-904021-03-3 C0071 1905E
株式会社 かんぽうサービス ℡06-6443-2173
大阪市西区江戸堀1-2-14 肥後橋官報ビル6F(〒550-0002)
中宮寺は聖徳太子の母、穴穂部間人
(あんほべのはしひとの)皇后の願いで創建された。
現在、寺がある場所の東三丁のところに旧地があり、
発掘調査の結果、南に塔、北に金堂を配した四天王寺式
配置伽藍だったとある。
法隆寺は僧の寺、中宮氏は尼寺である。説明によれば
当寺にゆかりのある高松宮妃殿下が万一のことがあったらと
いうことで昭和43年(1968年)に耐震耐火の御堂を
建てられたそうだ。
本堂には飛鳥時代最高の傑作の誉れ高い俗に弥勒菩薩と
呼ばれる、本尊如意輪観世音菩薩半跏像が祭られていた。
暗い本堂の中ながら目に届くままに像を追いながら
夢中でスケッチした。
寺が用意したしおりに以下あった。
「国際美術史学者間では、この像のお顔の優しさはを評して、
数少ない『古典的微笑(アルカイックスマイル)』の典型として
評価、エジプトのスフィンクス、レオナルド・ダ・ビンチ作の
モナリザと並んで「世界の三つの微笑像」とも呼ばれている。
半跏の姿勢で左の足を垂れ、右手を曲げて、その指先きを
ほのかに頬に触れんばかりの優美な造形は、いかにも人間の
救いをいかにせんと思惟されるにふさわしい清純な気品を
たたえています。」(了)
江嵜企画代表・Ken
Kenさんのスケッチは、ブログ容量の関係で削除させて頂きましたが、11月1日に、「かんぽう」さんから『ユニークに乾杯』というタイトルで出版予定です。定価2.000円。
ISBN978-4-904021-03-3 C0071 1905E
株式会社 かんぽうサービス ℡06-6443-2173
大阪市西区江戸堀1-2-14 肥後橋官報ビル6F(〒550-0002)