震災追悼法要・西林寺
江嵜企画代表・Ken
阪神淡路大震災14周年の1月17日、神戸各地で様々な形で犠牲者追悼の催や集会が開かれた。
阪神青木駅前にあった実家は二階の屋根が崩れ落ち、家の体裁をなしていなかった。一階も台所、玄関は崩れ落ちていた。広間縁側の雨戸は吹っ飛んで中庭が部屋の前に顔を出していた。二階の屋根から部屋に入った。
広間の父と奥の間に寝ていた叔母は生存していた。怯える二人をひっ張り出したことを昨日の出来事のように記憶している。
実家から徒歩5分のところにある西林寺も全壊した。震災犠牲者追悼のための法要が地震発生時間の朝5時46分から西林寺で執り行われた。
西林寺の藤川住職は、命、生命、いのちの三つの文字を黒板に書いて説明を始めた。
命を表現する場合、仏教では「いのち」と書く。科学や医学の世界では生命と書くと法話がはじまった。
14年前、あの地震で6,437名プラス行方不明2の犠牲者が出た。住職は地区の小学校、中学校を回り、次々担ぎこまれて並べられる仏様にお経を唱えた。
ドライアイスが不足していた。冬のさなかであったのは幸いだった。しかし遺体の腐敗は確実に進んだ。灘高の講堂には多いときには100数十の遺体がお棺が間に合わず、毛布にくるまれたまま並べられた。
阪神淡路大震災のあと日本でも地震がたびたび起った。十勝沖地震はマグ二チュード8だったが大震災という言葉を使わない。死者の数が神戸は多かったので大震災とつけられたと住職は話を続けた。
「前(さき)にうまれしもの 後を導き 後にうまれしもの 前を訪う(とむらう)」というと親鸞上人の言葉を紹介された。
なくなられたかたは何が起ったのかわからずに、いのちを落とされたに違いない。幸いにもいのちをいただいたひとが後ほど浄土を訪ね、なくなられた方にお会いしたとき震災の話をさせていただきますという意味だと説明された。
お蔭さまでいのちをいただき、震災を乗り越えることができた者は、震災を経験していない周りのひとびとに震災の話を伝えていくことが大切だと話を結ばれた。
追悼法要の様子をスケッチした。(了)